インターネットデパート - 取扱い商品数1000万点以上の通販サイト。送料無料商品も多数あります。

神仏のしづめ (梅原猛「神と仏」対論集 第四巻)

価格: ¥1,995
カテゴリ: 単行本
ブランド: 角川学芸出版
Amazon.co.jpで確認
怨霊鎮魂の能楽論 ★★★★★
 能は文学であった。宗教であった。そして、芸能である。私たちは、中世芸能民の伝えた多くのカタリを知る。
 この対論は、鮮度がいい。梅原は初めて能と出会ったごとく、好奇心にあふれた問いを放つ。松岡は、宿神・後戸の神という中世のまがまがしき神たちを伴って、その問に答える。
陶酔と熱狂と……そこはディオニソスの宴の場となっていた。
〔松岡〕先生と怨霊鎮魂についてお話をしたかったのです。私は能を鎮魂劇と考えています。具体的には、金春禅竹のシンポジウムで先生に何かお話をしていただきたいという…
〔梅原〕…最初は敬遠しとった。ところが最近になって、あなたがいらっしゃった赤穂の坂越の大避神社を訪ねて、急に世阿弥について関心を持ちました。
 私は『隠された十字架』で聖徳太子怨霊説を称えたけど、その臣下の秦河勝が怨霊になったとは夢にも思っていなかった…
〔梅原〕…禅竹は思想性が勝ちすぎている。世阿弥の方は、思想もあるけど、人間を見ている。人間を見る眼は、世阿弥の方が深い。だけど、理論の方は禅竹が深いと思う。「芭蕉」は禅竹の中でももっとも思想的な、もっとも深い能だと思う。
《コラム》「芭蕉」三番目物(神仙物)…芭蕉の精が女人と化して〈色〉をもって、修行僧を口説こうとする怪談。しかし、芭蕉の精が欲するものは、ひたすら「成仏」である。この能で描かれた芭蕉は〈はかなさ〉と同義。
 以上、本書の最初の方を一部紹介した。観阿弥・世阿弥、義満・正成…「怨霊鎮魂の劇」として能を読む梅原猛流能楽論がおもしろい。