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落語名人会(14)

価格: ¥2,039
カテゴリ: CD
ブランド: ソニーレコード
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この「芝浜」は気持ちがいい ★★★★★
 落語はよく分からない素人である私は、「芝浜」については、志ん朝のほかに、桂三木助(昭和29年10月録音)と柳家小三治(昭和63年10月録音)を聴きましたが、やはり志ん朝のが最も味わい深く聴けました。気がついたら、いつの間にか、話の中に入っていたという感じで、大げさでもなく、淡白でもなく、私にはちょうど良いものでした。通の好みや評価は異なるのかもしれませんが、何か落語をほのぼのと聴いてみたいという方にはお奨めの1枚です。
☆は5つ。百川は現時点で最高 ★★☆☆☆
「芝浜」は、小三治師匠の抑制した演出と、談志家元の「人間の業」そのままの壮絶な演出がある。この噺をさせたら絶品と言われた先代三木助師匠のあっさりした演出もある。
 志ん朝師匠の演出はこれらの平均的な構成を速射砲のような連発で飛ばしている。この点については、やや、残念。円熟した後の50代の高座を確か国立劇場で聞いたが、穏やかで、本当に泣けた。

 「百川」は円生師匠を間違えなく超えたが、ここでも小三治師匠との比較がされそうである。私は、現時点で、CD化されている中では、志ん朝師匠のものがベストと思う。
 特に、「手遅れになるといけない」について、他の演者は「常磐津に手遅れ?」で終わるところが「三味線が付いていけない」と言う解釈を入れることで、「かもじ」先生の登場までの時間を上手く稼いでいる。

 見事と思う。
百川 ★★★★★
「百川」は、近年では圓生、小三治が得意として演じているが、この志ん朝の「百川」も、伍して引けを取るものでは無い。圓生・小三治の物は、何と言っても「百兵衛」の演じ方が見事である。圓生は、圓生本人のキャラクターと百兵衛のキャラクターの対比が鮮やかであり、小三治は、自らの持つ飄々とした雰囲気が、百兵衛と重なりあって、実に巧く演じている。これに対して志ん朝は、河岸の若い衆の演じ方が見事である。特に素晴しいのは、若い衆同士の会話の間の取り方で、これは計算して出来る物では無い。江戸っ子として育った志ん朝の天賦の才であり、他者の追随を許さない見事な江戸弁での掛合いの間と、巻舌になって発せられるラ行の音は、聴く者の耳を魅了して止まない。
又、地味な部分ではあるが、噺の冒頭の「百川」の主人の台詞回しも、場面場面で微妙に変化を付けていて、主人の心理を的確に表している。この様なスキの無い工夫の積み重ねが、聴衆を何時の間にか噺の中に引き込んでしまう、志ん朝の話芸の神髄と言っても過言では無い。
何度聞いても可笑しい、腹の底から笑える一席である。
芝浜 ★★★★★
「芝浜」は、笑わせる所が殆ど無い噺で、それ故に演者の力量が、はっきりと出てしまう噺の一つである。あの圓生ですら、録音を残していない事からも、噺家泣かせの演目と言って良いだろう。志ん生の「芝浜」と聞き比べると、志ん朝は非常にリアリティーを重視した演出をしている。幾つか例を挙げると、志ん生は、昼食時に酒を呑み過ぎて寝込んでしまい、その日の魚を翌日売るとしているが、いくら師走とは言え、冷蔵庫の無かった当時の事を考えれば、志ん朝の様に、売捌くのが遅れて魚の鮮度が落ちて、御得意から文句が出て来ると言った構成の方が自然である。又、志ん生は、財布を拾って帰って来た熊を、そのまま女房が寝かせ付けてしまうが、志ん朝は、昨夜の呑み残しの酒を呑ませて寝かし付けている。浜から走って帰って来た後、まして、大金を拾ったと知った後では、相当興奮している筈で、酒を飲まして寝かし付ける方が、自然である。
女房の描き方も見事で、熊を起こした時点で、既に飯台から草鞋まで何から何まで準備している。兎も角熊に、商売に行って貰いたいと言う一途な気持ちと、魚屋の女房として亭主の商いに必要な物を知り尽くしていると言う演出が、財布を拾った事を夢として誤魔化し、正直に届出ると言う良妻さを強く印象付けていて、聞き手に、この噺の筋書き全体を納得させる伏線となっている。
法話とも言える様な要素を持つこの噺を、落語として高座に掛けて、聴衆を楽しませ、納得させられるのは、志ん朝をもってしてであり、ストーリーの自然さと、優れた演出家としての志ん朝を味わって貰いたい。