それはさておき、文楽十八番「明烏」に挑戦する勇気自体が、凄いことである。それだけでも賞賛に値するのに、文楽版が枝葉を切り取ってしまったのに対し、非常に丁寧に若旦那の心境を克明に描いている。めそめそ泣いているところを追い出されるときに「二宮金次郎」その他のギャグをふんだんに取り入れ、下げでの豹変との対比の布石を見事に描いている。
文楽師匠は「甘納豆」で朝の源平衛たちの困惑を演出するが、ここでは梅干が使われている。「文楽師匠とは違うぞ」と言う意気込みの現われだと思う。
下げの部分は、艶っぽさで完全に文楽師匠を追い抜いている。
見事に、誰も手をつけるのを避けていた名作を復活させた。
「船徳」も絶品。こちらは、小三治師匠の同時期の音源もあるが、小三治師匠は割りとあっさり全体を流しているのに対し、「親方に怒られる原因」として、そばの代金のギャグまで取り込んでいるのは、他に例がない。
この二つの噺は、絶品である。絶対買うべきである。
対照的な性格ではあるが、いずれ劣らぬ人騒がせな二人の若旦那をまだ若い時分の志ん朝が見事に演じわけている。つくづく、この人は噺の上手い人だなと、唸ってしまう。
それにしても、志ん朝が演じるとどの人物も嫌みがなく、魅力的に描かれる。後味の良さが何ものにも代え難い。