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新・考えるヒント

価格: ¥1,680
カテゴリ: 単行本
ブランド: 講談社
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 「専門用語によらない哲学の文章表現」を目指すという独特の試みで、思想のジャンルに新風を送りこんでいる池田晶子。ユーモラスな哲学対話集である『帰ってきたソクラテス』や、ベストセラーにもなった『14歳からの哲学』などの著書で、より広い範囲の読者も獲得してきた。そんな著者が、学生時代から多大な影響を受けてきた小林秀雄の著書を、本を1冊丸ごと模倣して、随想集のスタイルで書き下ろしたのが本書『新・考えるヒント』である。

   著者は、小林秀雄の『考えるヒント』の各章のタイトルをなぞりつつ、さまざまなトピックについて考察を重ねていく。神の存在を信じる、という話題から掘り起こし、科学一辺倒の社会に警鐘を鳴らす「常識」。大衆に消費される言葉のあり方を嘆きながら、言葉の持つ魔術に改めて感心する「読者」など、全15編を収録。決してやさしい内容ではないのだが、小林秀雄ゆずりの洒脱な言い回し、適度な脱線、皮肉を交えているので、最後まで飽きずに読めてしまう。

   哲学的な事柄を日常の言葉を使って粘り強く書くという点では、従来の著作と同様だが、最後まで「批評」という形式に寄り添っているところが目新しい。また、小林秀雄からの引用文と著者の文章が、読み進むにつれて、互いに区別がつかなくなってくるのも魅力である。「小林秀雄が現代に生きていたら、こう言うだろうな」などとうなずきながら、ページを繰っていくのが、この本のもう一つの楽しみ方であろうか。(金子 遊)

難しい ★★★★★
購入して何度も何度も繰り返して読んでいるが解らないことがある。然し、私は私なりの解り方しかできないんだから今はこれで良いんだと思っている。

社会の流れの速さに負けてしまいそうになる日々の中、本質的な事を考えない己をリセットする為には必要な一冊です。
小林秀雄に惚れた哲学の巫女 ★★★★☆
 著者自身が「一方的なランデブーを敢行し」たものだと言う。考えることに伴う「狂」と「日常」のあわいをともに強く思考しぬいた二人による合作と言ってもよい。「乱れているのは、世が乱れていると世を責めるその人の自己だ。」という言葉は見事である。あたかも自己が空虚となったかのように、他者の責任を追及するあり方は真の批評から程遠いのである。まず「汝自身を知れ」というのは、批評の、哲学のやはりイロハなのであるから。この二人はその点で立派だった。
 残念ながら、晶子女史の文章には小林の行間に漂う生活感情のうごめきがない。資質と境遇は真似ようがないのである。それは著者自身が意識していたことであろう。それ以外は、小林の感性を含めた思考と著者のそれとがシンクロして、読み手の思考もすばらしく活性化させてくれる。

 「十年後、二十年後のあなたとの出会いは、今度はどんなふうでありましょうか。だって、あなたはもう歳をとることはありませんけれども、私はこれからが人生、時熟のときなんですものね。」という「小林秀雄への手紙」の結びの言葉は、今となっては実現不可能になってしまった。この言葉を読むと、本当に悲しくなるのである。
解るひとがうらやましい ★★☆☆☆
入門書にしては。言い回し、単語がむずかしい。とてもわかりずらいとおもいました。
絶対のおすすめ! ★★★★★
「14歳からの哲学」を書かれた池田晶子さんの新作「新・考えるヒント」のご紹介です。この本のテーマは「人生を考える」ということですが、なぜ、この実践的哲学表現の書を、女と男の物語にもってきたかというと、これは読んでお楽しみなのですが、小林秀雄氏と池田晶子氏の魂のコラボレーションともいえる本なのですね。

小林秀雄氏の精神に恋焦がれ、「一方的なランデブーを敢行してしまった」という池田氏の、最後の「小林秀雄への手紙」という章を読んだとき、思わず、素敵!と思ってしまったわけです。人生の悦びは、知ること、考えることを体験し、過去の人々の精神と情交すること。

「小林秀雄と池田晶子、ふたりに思惟する精神の、宿命的出会いが生んだ<正しく考えるためのヒント>」女と男のことにしてしまったら池田さんには申し訳ないのですが、でもやっぱり最後の熱いラブレターは、これは男女ならではという、何ものかを感じるのですね。私もこのような魂のコラボレーションのできる人がいて、表現する機会があったらこの上なく幸せでしょう。
また、この本はほんとうに人生を考えるという人間の喜びの深さを味わえるのです。とにかく、うーん。大人っていいな、と思える本ですよ。

絶対のおすすめ!

池田の言葉の姿は潔い ★★★★☆
 小林秀雄の文章はエピゴーネンの出現を許さない。なぜか。「そこには主義も主
張もなく、ただ絶対的な作品の姿があるだけだからだ」。意は似せ易く、姿は真似
難い。「小林をではなく小林から学ぼうという池田の真意が、君などにわかろうは
ずもない」。この「言葉」と題された章に出てくる池田の言葉の姿は潔い。