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カエサル (講談社学術文庫)

価格: ¥1,103
カテゴリ: 文庫
ブランド: 講談社
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誰にでも親しく、誰とも心通わせず ★★★★☆
 本書はカエサルの人生を通観して変革期のローマの動きとカエサルがそれをどのように関わり、動かそうとしたのかを描くことを主題とした伝記であります。内容的には目新しさはあまり無く、手堅さの光るものなのですが、その中で一番の本書の特徴を際立たせようというのなら、塩野七生氏のカエサル伝と比べ見ていくことが、とても効果的であると思います。なぜならば著者と塩野氏は類似した立場をとりながらもその結論が対照的であるからです。塩野氏はカエサルの豪放磊落で広大無比な心根を超越者の余裕であり人好きのする底抜けの楽観主義の源泉と考えておられますが、著者はその絶大な自信と優越感は寧ろ、カエサルを以って孤独の中に突き落とし、その明るい性格もまたどことなく痛々しい影を持っていることを指摘してやみません。二人の伝記は依って立つ視点はほぼ同じで、カエサルへの評価も似通っているのですが、そこから導き出したカエサルの姿はコインの裏表のように対照的であって、しかも共に説得力のある魅力的な像となっているのです。おそらくこれは、作家であることの主観性を重視して已まない塩野氏が愛に似た情感あふれる筆致で描くのに対して、学者としての客観性を重視して突き放した視点から歴史の上で踊る個人の悲哀を強調した二人の著者の基本的な姿勢の差の表れといっていいのではないかと思います。
 元々本書は、中高生を対象に書かれているとのことですが、引用や意見の紹介に最小限の出典の明記すら為されていないことは非常な不満点です。著者はどうも平易さと堅実さは並び立たないと考えておられるかの様です。たとえ読者を誰に想定するにせよ、このような一般への読み物は学術的な世界へとの橋渡しの役目を果たすべきであり、専門的な批判にも耐え得るものであることが望ましいと思うのです。
カエサルの積極的評価と共和政ローマ ★★★★★
著者があとがきに記しているように一般の読者、とりわけ若い人(中高生)を対象に書かれたこと、そして再刊にいたる経緯を思えば、この著書の無味乾燥な感じ(裏を返せば冷静で客観的な態度か)や「性生活」について描かれないのは当然のはず。そうしたことをもって学者としての態度云々と言うのは違うと思います。その点については敢えて前記レビュアーに対して反論させていただきます。
本書は、平易かつ年代を追って書かれており、カエサルについて興味を持つ方が理解を深めるには打って付けです。著者の姿勢としてはカエサルを積極的に評価する方向をとっていますが、それが具体的・確証的に説明されているかというとそうとも言えない点は確かにあります。しかしそれは決して“無味乾燥”な記述の上に立っているとは言えず、数々の有名な挿話や名言、他者との関係・カエサルの置かれている位置を迷わせないように散りばめられた丁寧な説明、そして著者自身の積極的かつ前向きな論展開によって、カエサルの善悪評価のうちの一方を、スムーズに小気味よく読者のうちに確立させていきます。もちろんそれは善と悪の顔を併せ持っていることが前提であり、そこからが個々人が下すカエサル評価の第一歩なのだと思います。
もう一点。一章・二章は末期共和政ローマの制度・社会についてよくまとめられており、初学者にとってはローマ理解の助けになると思います。
旧い学者風の「カエサル伝」 ★★★☆☆
本書がユーリウス・カエサルの生涯の活躍を誰にでも分かり易く記した文庫であることは否定しない。
とはいえ、書き下ろされた時期が40年近く前のせいか(他の出版社より文庫として公刊さる)、カエサルの私生活、就中“性生活”に関しては殆ど略筆されており、やや無味乾燥な読後感を懐く人も少なくはない筈である。
たとえば、カエサルが青年時代に小アジアでビテューニアー王ニーコメーデースの愛人となり“青春の花を散らせた”史譚は、今では知らぬ者とて居ないほど有名な話であるというのに、何故かその「史実」には全く触れられて居ない。
その辺りの「省略による人物像の歪曲」は、どう贔屓目に見ても、学者らしからぬ態度と云っても過言ではないだろう。
ローマ帝国を創始した男の秘密に迫る ★★★★★
ヨーロッパ史で「英雄」を3人挙げろと言われれば、アレクサンドロス大王、カエサル、そしてナポレオンになるだろうか?三人の中では日本人にとってはカエサルが一番縁遠い存在だろう。しかしヨーロッパ史上での影響力を考えるとカエサルが一番である。ドイツ語のカイゼル、ロシア語のツァーリ、ペルシャ語のシャーなどの絶対君主を表わす言葉は「カエサル」が語源になっている。聖書でもイエスがユダヤ人がローマ人に税金を納める議論で「神のものは神に、カイサルのものはカイサルに返しなさい」と述べた言葉も有名である。シェークスピアも「ジュリアス・シーザー」を書いた。彼がローマの役職であるイムペラートル(imperator:司令官)に就いていたことから、それが英語の皇帝、即ちエンペラー(emperor)!になったのである。

しかしカエサル本人は王冠をかぶったり、帝位についた事実はない。あまりにも巨大になったにも関らず相変わらず都市国家の形態から抜け出られない共和制ローマを「一人支配」という原理で構造改革し世界帝国になる道筋をつけるべく腐心した現実的な「ローマ市民」としての政治家というのが彼の本当の姿である。本書は、カエサルの行動を青年期から悲劇の暗殺までたどり、その卓越した政治力、恐るべき視野の広さ、そして改革者としての「孤独」に迫っている。カエサルは共和制ローマを帝政にすることで、後のヨーロッパの枠組みを作ったといっても過言ではない。だからヨーロッパを知りたいならカエサルを知る必要がある。

現代の複雑怪奇な政治にあっては、アレクサンドロスやナポレオンのような英雄が現れて、華々しい活躍をするような場所はないだろう。むしろ古来の伝統・制度や人間的なしがらみと格闘しながら、新しい地平線を拓いたカエサルの生き様こそ、現代人に共感できるものがあり、注目すべきものがある。