去年シリーズ完結した映画に「ゴジラ」というものがある。いろんなバージョンがあるため、一言で言うのは難しいのではあるが、ゴジラは人類(特に日本)の都市にやってきては、破壊の限りを尽くすが、決して完全に死ぬ事は無いという原則がある。そういう非人類的(非国民)映画がなぜ40数年間作られつづけてこられたのかというと、この国の人たちがゴジラをこよなく愛したからである。なぜ愛するのか。ゴジラはもともと水爆実験という「人類の罪」から誕生した怪獣であるが、実は人類の罪はそれだけではない。私たちは戦後の繁栄は実はとんでもない虚妄の上に建っているのではないかという漠然たる想いをみんな持っている。だからゴジラが国会議事堂を壊し、東京ツインタワーを壊し、福岡ドームを壊し、各地域の原発を壊していくのは実は必然なのではないかと思うからなのだ。ゴジラ映画でわれわれは「癒し」を得ているのである。
前置きが長くなりました。つまりいいたい事は、この四兄弟、実に見事にゴジラの役割を果たしてくれていると、私は思うのである。特に第二巻はその性格が強い。88年当時の「繁栄」の象徴である東京の有名施設をを全て破壊してしまったのは、まさに四兄弟が、当時バブル絶頂期であった日本の「罪」を見事に指摘していたからに他ならない。東京都庁に対する辛らつな意見なんて、「まさにその通り」で、竜に巻かれて炎上する件で読者はスカッとするだろう。
「ゴジラ」に献上したかった副題を私はこの本のために捧げるであろう。「破壊神!」と。