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蝮のすえ・「愛」のかたち (講談社文芸文庫)

価格: ¥1,365
カテゴリ: 文庫
ブランド: 講談社
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魔都上海に冒された男女の恋愛を描く「私小説」 ★★★★☆
 「文学雑感」というエッセイで、武田泰淳は私小説について肯定的な言及している。戦時中の軍人や政治家の大時代的で軽薄で尊大な言葉に対して、軟弱な私生活を送る男の心の言葉を綴った私小説はある種の政治的な意味を持って響き、若き日の武田も共感したという。(講談社「われらの文学2」、昭和42年所収。)

 そんな雑感を踏まえて「蝮のすえ」「愛のかたち」という終戦直後の上海引揚げ組の男女によるドロドロした恋愛小説を読むと、確かに主人公の男達の軟弱さもひとつの態度表明だったのではないかと思える。特に前者では、そんな軟弱な男とかつて軍国主義日本下の上海でブイブイ言わせた男のみじめな対決が見られて興味深い。また、後者では「男と女」という対立図式、「愛」という行為のどこまでいっても一方向で分かり合えないところなどとともに、これまた軟弱でグダグダな男と女の愛欲に溺れる姿が描かれている。後者はそんな愛の話のなかで、主人公が「私と「私」の話」という私小説を書き、それが小説の一部になっているというトリッキーなことをやっているものの、「(人それぞれの)愛のかたち」と「私小説」の話がうまく有機的にかみ合っていないため、企画倒れになってしまっている感が残念である。(ただ、この着想自体はやっぱり大したもんだと思うし、それなりにエロい小説になってるのはさすがである。)

 例えば、どちらの小説とも、上海帰りの登場人物達が戦後住み難くなってもまだ魔都上海に精神的にしがみつき、何も無い日本本土に帰っても上海を懐かしむシーンがあるところに、今の読者では思い及ばない隔絶があるように、著者の紡ぐ恋愛小説に対して今の時代よりも過度にロマンチックなものを感じてしまうのは、やはり時代の隔絶ではないだろうか。武田泰淳や坂口安吾は確かに大戦直後の重要な無頼派文学者なのだと思うが、本当に無頼なのは彼らのようなロマンチシズムに犯されなかった内田百鬼園なのではないかと思う。この「徹底」の度合いにおいて、星を1つ削って4点とします。でも、これらを所収した文庫が在庫切れ中だという日本の出版状況はやっぱり嘆かわしいですね。日本文学の永遠の課題である「私小説」のひとつの検証材料として、この2つの作品は読み継がれるべきでしょう。