戦中戦後の日中関係を「傷」として背負った文学者の出発地点
★★★★☆
左翼運動と中国文学に心惹かれながら、日中戦争に従軍・転向した著者が20代後半で書き出したとされる代表的随筆。「司馬遷は生き恥さらした男である。」という書き出しから始まるこの力作は、そのまま自分の姿を司馬遷に写したものと読むのが一般的だ。
また、盟友・竹内好が本書解説で指摘しているように、時局に恵まれずとも「世界」を書ききった司馬遷の姿を描くことで、戦時中の知識人批判を行おうとしたとも読めるだろう。
もはや、そのような文学史的意味を外してこの本を読むことは難しいのだが、皇帝や英雄、その周りの知識人といった「政治的人間」や名も無き暗殺者達などが複数の惑星系を作り出す宇宙的なシンフォニーとして司馬遷は「史記の世界」を描いた、とする説はダイナミックで、今読んでも面白い。20代でこんな本を書いたという博識ぶりには驚かざるを得ない。
なお、著者は浄土宗の家に生まれ育った関係で、三島由紀夫の葬式では僧形で弔辞を述べている。この本について三島は日記「裸体と衣裳」の中で「小説家としての氏も、最後には、この最初の認識、「腐刑をうけた男」の認識にもどらざるをえぬのではないか。」と指摘している。僕は戦中・戦後の日中関係を背負って武田泰淳は文学活動を行ったと思っているが、三島と同様の認識である。そんな武田の文学的スタート地点が、このような苦渋に満ちた文章だというのは、今の時代の両国関係を鑑みると、何か象徴的な気がしてならない。