驚異のユーモア前衛小説
★★★★★
これを何の予備知識もなく読んで、18世紀の小説と分かる人は多分いない。
めまいがするほど斬新なのだ。
脱線に次ぐ脱線。挟み込まれる真っ黒ページや図形の数々。
語るそばから話がそれて、一向に進まないエピソード。
主人公トリストラム・シャンディに至っては、冒頭から語り手として
好き放題しゃべりまくるくせに本人は物語中盤を過ぎてやっと生まれる始末。
読者をからかうことにおいて、これ以上に大胆な小説は私の知る限りない。
『白鯨』を記したメルヴィルも真っ青。一体どうやって訳したんだろう?
その翻訳者・朱牟田夏雄氏が解説で語るように、本作には
「笑いを愛し人間を愛するスターンの精神」─熱狂よりも寛容を、
大義よりもユーモアを愛し、笑いに智恵を見出す態度がうかがわれる。
(主人公の叔父トゥビーがハエに向かって)
「可哀そうな奴だ、さっさと飛んで行くがよい、
おれがおまえを傷つける必要がどこにあろう」(上巻P.189)
「これは最大の愛国者たちの身に、過去にもしばしば訪れた不都合で、─つまり、
『あわれこの男、自分で自分の口笛が聞えない状態』だったのです」(上巻P.269)
「熱狂というものは、本当の学問の足りなさに比例するものです」(中巻P.33)
これらの考察は、度量の狭い熱狂が幅を利かせる現代日本にも通用する。
と言って、別に本作をしかめ面して読む必要もない。
作者のからかいに翻弄され、無数に散りばめられたジョークを楽しむだけで十分。
読者の胸倉をつかんでお説教するのが作者の意図とも思えないし、
智恵は往々にして笑いの中に存在するものだから。