ガンコじいさん、セリーヌ
★★★★★
死ぬまで抗い続け、余生なんてクソ食らえ!
で書き続けたセリーヌじいさんの一作目。
読みづらいですが、二年に一回ずつくらいトライ
して読み返しましょう。
小説にカタルシスだけ求めても、
ツマンナイですし。
高校生の夏休みとかに、初トライが
いいんじゃないでしょうか?
たぶん「うわー、入ってけね〜」
でしょうが。そうやってブツブツ言いながら読んでほしい。
「バカ野郎!」と100回言ってとつぜん
「ありがとう」と口にするような
「死ね!」と1000回罵ってから
「美しい」とつぶやいてるような、
そんな本です。
暗くて悲惨なだけの本じゃないのです。
川上未央子さんがエピグラム
使ってましたが、アレはちょっとズルイなあ・・・。
毒々しいくらいに
★★★★★
終戦記念日に戦争の本。
フランスの作家、セリーヌの代表作。彼は、苦学して医師となり、パリの開業医でもあった。
第一次大戦での若い兵士の話である。
戦場で、上司が、あっという間に死に、肉の塊になっていく、、
戦闘の記憶のため、PTSDのようになって療養生活を送る、、
であった女性達との愛欲の日々、、
アフリカへの旅、、。
描写が、とても率直である。
発表当時は、相当な問題小説だったかもしれないけれど、
現在だったら、文学表現として、この程度の描写は有り得るかなあ。
夜の果ては、朝である。
この本の批評には、、絶望、虚無がついて廻る。
私には、若者の、刹那的だけど、暴力的であるけれど、、
生を必死につかんで、思う存分楽しんでいる様子のように思える。
私が楽観的すぎ?
意外に読みやすい本なので、まあ、読んでみましょうか。
訳もいいです。
言葉の音楽
★★★★★
10代の終わりに読んだとき、一字一句から溢れ出る叫び声に煽られ、わけもわからず茫然とした記憶があります。
今、たっぷりと年くって読み返すと、育ちのいいとても真面目な青年から流れ出た一篇の詩のように思えます。事実、どの頁でもいいのですが、その一区画を切り取り、句点毎に改行して読んでみますと、詩そのものです。第一次大戦に参戦したランボーのようでもあり、あるいは、挿話毎に小まめに標題をつけていけば、ボードレールのパリの憂鬱となります。
ここに詩とは、言葉の音楽です。本書から、偽悪的臭いを拭い去れば、聞こえてくるのは快適なリズムであり、転調による不意打ちです。本書が真性の文学たる由縁です。
なお、翻訳が大変優れているように感じます。多分、打てば響く関係にあるのでしょう。随分な財産を残して頂きました。感謝いたします。
罵倒言語の美しさ
★★★★☆
俗語・罵倒が大量に導入されておりますが、それをスピード感を失わせずに文章に封じ込めるのは、
並々ならぬ繊細な神経の持ち主であったことの裏返しでしょう。
上下巻読みとおしましたが、分量的に下巻は冗長に感じてしまいますが、
(そのくらい上巻のラストの駅での別れの描写は美しいのですが。)
この美しい作品を日本に知らしめた生田耕作先生にあらためて、感謝せねばなりません。
この世界と和解できない人へ
★★★★★
絶望の果てには奇妙な快楽が潜んでいる。
それに気づいている人は少なくないのだが、
それを追求するだけの勇気と機会と才能を持った人は極僅かしかいない。
セリーヌは、幸か不幸か、その全てに恵まれていた。
この『夜の果てへの旅』には特に気に入った一節があるのでここで紹介したいと思う。
セリーヌを手に取るほどの人ならきっと共感してくれるだろう。
「完全な敗北とは、要するに、忘れ去ること、とりわけ自分をくたばらせたものを
忘れ去ること、人間どもがどこまで意地悪か最後まで気づかずにあの世へ去っちまうことだ。
棺桶に片足を突っ込んだ時には、じたばたしてみたところで始まらない、
だけど水に流すのもいけない、何もかも逐一報告することだ、人間どもの中に
見つけ出した悪辣きわまる一面を。でなくちゃ死んでも死に切れるものじゃない。
それが果たせれば、一生は無駄じゃなかったというものだ」