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存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

価格: ¥860
カテゴリ: 文庫
ブランド: 集英社
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「人生はたった一度限りだから尊い」 ! ★★★★★
ニーチェの唱える「永劫回帰」概念が提起する「耐えがたい責任の重荷」の問題を考察するために、小説仕立てで人生の「重さと軽さ」を考察したもの。「重さ-軽さ」の対立は最もミステリアスで多義的との立場を採っている。また、作者はチェコの作家である。

舞台はプラハ。ドンファン的医者のトマーシュと地方出身のテレザの恋物語が主軸。トマーシュは「唯一つの人生しか生き得ないとすれば、全く生きなかったと同じ」と考える男だが、テレザと会った瞬間天啓を受け、自らこのルールを破る。理論上は。昔からの複数の愛人、特に画家サビナとの関係を止めない。早くも多義性の問題。"プラハの春"による別離と再会がトマーシュにもたらす愛の重さと偶然性の問題。三人称の記述とテレザ・サビナの視点の記述が時間を交錯させ入り交じる上に、作中に作者が顔を出すという複雑な構成になっているので戸惑いを覚えるが、画一性と独自性、誠実と裏切り、心と身体等の様々な対立軸が提示される。続いて、亡命したサビナの裏切りのドラマが語られるが、彼女が背負った重荷を作者は「存在の耐えられない軽さ」と称する。そしてサビナにもたらされる二人の訃報。

続けて時制を遡り、二人が最期を過ごしたプラハでの生活が語られる。"ペトシーンの丘"の描写は悲痛な印象を残すが、貞操や信頼に加え、「死」さえ「軽い」という象徴であり、酷薄の象徴でもある。ここでも、裏切りの構図になっている。題名とは裏腹の「人生はたった一度限り(だから尊い)」との言は本作の主題だろうが、同時にチェコや人類の歴史のメタファーだろう。作者がキッチュと呼ぶ様々な主義や常識に捕われた慣習こそが「耐えられない軽さ」なのだと思う。この他、人間が帰還すべき場所、神と人間との関係等、様々なテーマが議論される。作者の奔放な思弁が読む者を翻弄する問題作。
哲学的文学、芸術の最高峰。生涯忘れ得ぬ小説。 ★★★★★
ニーチェの永劫回帰の思想をテーマに据えつつ、60年代のプラハの春という社会主義国家の
政治的背景の下ではただのちっぽけで無力な存在に過ぎない一人の男と、二人の女性の、
愛と嫉妬と性愛を描きつつ、人生あるいは人間という存在と、生命の重さと軽さについて読
者の哲学を問い続ける挑戦的かつ究極に芸術的な小説。

主人公のプレイボーイであるトマーシュは、単なる無類の女好きと評価されがちであるが、
決してそんなことはなく、むしろ普通の男、そのものである。ただ、「生活といううすのろ」
に耐えられないタイプの男であり、束縛が苦手というだけであり、モテすぎるということを
除けば、多くの男性は共感を覚えるはずである。

私は、映画から入ったので、トマーシュもテレーザもイメージが先にできてしまい、どうして
も顔が思い浮かんでしまい、それが先入観となってしまって、小説の正統的な読み方ができな
かった嫌いはあるが、本格文学を、芸術を心から堪能できた。訳者はチェコ語から直接邦訳し
ているが、その訳出の素晴らしいこと。訳者の文学性の高さは並の小説家は到底及ばないと思う。

一生のうち、このような小説が1本書けたらと、純文学を志す人なら誰でも思うだろう。ただ、
著者のクンデラ氏は、この小説を文学としての芸術性にこだわっているようには思えず、著者
の顔が物語の途中、所々に現れて、どうしても主張せずにはおられないという切迫したものを
感じる。小説という形式に拘わらずに伝えたいこと、問いかけたいことをぶつけてくるという
意味で挑戦的であり、亡命者である著者の、この作品と登場人物と、政治的背景に対する強い
思い入れが感じられ、読者は完全に虜にさせられる。

チェコからフランスに亡命した著者の真に渾身の命をかけた作品であり、私にとって生涯忘れ
得ない小説となった。これを越える文学作品が現れるとは到底思えない、究極の文学であると
思う。
登場人物に己を見出さない人はいないのでは? ★★★★★
つきあってもいない女の子に手を出すあなたと、
「自分は特別な女の子だ」と思ってやまないあなたへ。

なぜこの小説が、20世紀恋愛小説の最高傑作と呼ばれるのか。それは、現代で恋愛をする全ての人々が、決して避けて通れない感情が全て書いてあるからだ。『肉体の悪魔』『初恋』『狭き門』…どの時代の恋愛小説にも書いていない、今を生きる人でないと感応できない昂りと凋落が、この本にはつまっている。男女が出会い、恋に落ちて、苦しんで、どちらかが死ぬ。古典恋愛小説に見られるステレオタイプの筋書きは、往年の輝きをどんなに誇っていようが、その輝きは現代においてはやはりくすんでしまう。私たちはもう、何のしがらみもなく自由に恋愛できるし、宗教や世間体に縛られずに自由に体を結びうるし、なかなか死なないから。でも、だからといって、特定の異性と関係していくにおいて、苦しみが取り除かれたわけじゃない。たやすく恋に落ちて、容易に同衾しても、「幸せ」は手に入らない。プラトンが『饗宴』で書いたように、相手と体を共有しながら暮らしていくのでない限り、私たちの苦しみは続いていくのだろう。「好きな人を完全に自分のものにしたい」という永遠にかなうことのない女性の欲求も、「完全な女性を自分のものにしたい」という男性の無理難題も、現代においてもまたその形を変え、世界中の人々の中で息づいている。哲学的叙述とポリフォニックな異質の構成の元に、クンデラはそれを、白日の下に曝け出すことに成功した。

“悲しみは形態であり、幸福は内容であった。幸福が悲しみの空間をも満たした。“

最期の頁のこの文章を読むまでに、過去と未来の自分の恋愛感情を、読者は丁寧になぞることができる。愛を乞うことが、どんなに悲しいことであろうと、人はそれをやめない。穏やかな幸福があるからこそ、恋愛は悲しみという形をとる。
読んだら恋人に真っ先に会いに行きたくなる。そんな小説はもういらない。相手のせいで陥没した心を、一緒に冷静に見つめてくれる物語こそが、「現代の」恋愛小説たるべきだ。
読者が幸せだろうと不幸だろうと、その境遇をかなぐり捨てて、物語に自分を同調せざるを得なくなる。
乱暴な本だ。そしてその乱暴さに、惹きつけられてやまない。

(ただ、クンデラを初めて読む人のための本ではないかもしれない。読書リテラシーが不足していた3年前の自分は、5ページも読めなかった。他の著書で、彼の独特の文章に慣れてから読むと、いっそうこの本の魅力が伝わると思います)(by ちゅら@<おとなの社会科>)
存在の軽さに耐えられない ★★★★★
4人の主たる登場人物のうち、いちばん共感したのがフランツ。社会正義への憧憬から戦地での医療救助隊に参加し、そこで頓死というのが笑い、かつ泣ける。
その死の意味さえも元妻の世間でのアピール材料になってしまう悲喜劇ないまぜ状態は筒井康隆やカート・ボネガットにも負けないスラプスティック。
もちろんそれ以外の要素も満載であるが、こうした視野の広さがあるところがこの小説の魅力であろう。
ところで著者名をずっと「グランデ」だと思っていた。 
上質なエンターテイメントと社会主義の関係 ★★★★★
いやぁ、おもしろかった。表題に騙されることなかれ、シンプルに音楽家のようなクンデラのマジックに身を委ねるべき。
恋人のテレザもサビナも情熱的で肉感的で、読後心の中にいつしか棲みついてしまう。名うての外科医から落ちぶれて窓拭き掃除人になったあとも女遊びに余念がないトマーシュも笑えるが、各人がそれぞれぶれない軸、信念を持っていて深い共感を呼ぶ。戦場での決死の大パレードや、捨てた息子と再会して理不尽な息子の頼みごとを苦しみながら拒むとこなど。
現代の閉塞感の中で、一見完全勝利したかに思える資本主義と、トマーシュが生きた当時の社会主義のコンセプト、理想について、思いがめぐりました。