どう面白いのか、すごいのか、考えてみた
★★★★☆
かれこれ5ヶ月ほど前に読んだ。人々の証言を見事に組み立てて、「その時」まで持っていく所はおぉすごいと思ったけれど、感想としては、これは面白いの?、タイトルですごく期待したけれど、ものすごい肩透かしを喰らってしまったのだけど、どうしよう? であった。作者が名のある文学作家であることは知っていたが、○○賞作家に特に興味がないため、どれ程すごいのかは今も知らない。
紹介文の「差別や妬み、憎悪といった民衆感情、崩壊寸前の共同体のメカニズムを複眼的に捉え」ってのも正直よくわからない。共同体の〜はまぁ何となくわかるとしても、誰に対する差別? 妬みってのは、玉の輿に乗った花嫁への妬み? その差別・妬みと彼が殺されることの因果関係がわからない。憎悪を抱いているのは、花嫁の兄弟じゃなくて民衆なの? 花嫁の兄弟が民衆を体現しているってこと? 紹介文からは疑問が湧き起こるばかりだ。
で、皆様のレヴューをみて、その高評価に驚き、なぜ面白いと思わなかったのかを考えてみた。
それから、ごめんなさい。ネタばらしをします。もう、してしまったかも。
まず、タイトルから、シャーロック・ホームズ張りの頭脳が「殺人の予告」を阻止するべく知能戦を繰り広げる、推理小説・娯楽小説を想定したことが間違いだった。この「記録」には、まさに、警察や探偵のような解決を請け負う人物が欠けている。それゆえに私は肩透かしを喰らい、しかし、小説は、その稀有な頭脳を欠くことで、平凡な我々の無力を、愚かさを、私達に見せつける。殺人という「悪」が「予告」されたならば、根っからの悪人ではない我々は必ずやそれを止められるだろうなどと、安易に思ってしまう。ところが、事態を洞察する目・頭脳がなければどうあっても止められない。悪を阻止するものを「関心」と言ってもいいかもしれない。
花嫁が、何と言ったらいいかしら、その、無垢ではなかったと。で、誰が、と問われて若者の名が挙げられる。周囲の誰も、その二人の関係に関して断言できず、花嫁の兄弟が殺害をほのめかしつつ(触れ回りつつ)、街中を行き、しかし誰にも止められず、名指しされた若者は殺害される。
花嫁と名指された若者との関係を誰も承知していなかった。街の人々は若者の「殺害」を予告された。しかし、その予告を妨害しなかったのは、「なぜ」と問うことをせず、多くの人が事態の深刻さに気がつかなかった。そして十全の対策を取れなかった。コミュニティの他者に向けられるべき「関心」の欠如が、予告されながらも阻止できなかった殺人を招いたがゆえに、この「記録」には、かようなタイトルがつけられた。
そこまで考えて、やっと、この作品はすごいなぁと思えました。皆様のレヴュー参考になりました。ありがとうございます。
生きるのも死ぬのも鳥の糞さ
★★★★★
唐突に死んだ事にされたある男。その死への過程をグロテスクかつユーモアに描いた作品。ルポであり、文学であり、推理小説としての
側面さえ持ってしまう仕上がりはあまりに創意に満ちています。
広場において観衆つきの殺人劇はあまりに夢幻的な印象を残す。その夢かうつつか判然としない世界観は独特。それでいて、それを
裏打ちするのは、現実に対しての妥協のない冷然とした眼差しでもあるのです。閉鎖的な田舎町で渦巻く嫉妬心や差別心。
そこに近代化の波が少し入るだけで、もう理性のたがが外れるのです。崩壊のカタルシスの前では神も悪魔も同義でしかない。
その全体を覆う透明な論理。背徳を内包する得も言われぬ香気。神秘的にして世俗的な様相を帯びた大衆文学の極致。
買いです。
★★★★☆
文庫化されているものの中で最も安価で、最も手軽に入手できる、マルケスのルポルタージュ作品です。実際に起きた殺人事件に材を取り、それを当事者と深い関わりを持つマルケス自身であるところの「わたし」が30年後に追うというのが基本的なラインなのですが、時間、空間を意図的にない交ぜにする構成の妙によって、読むこちら側の足もとまでぐらつかせるような優れたフィクションといった印象を受けます。解説にあるように原文に見られるというアナグラムなどを念頭に置いて読むとまた違った深い読みが可能なのでしょうが、その解説、文庫あとがきを合わせても150ページほどの量ということもあって、マルケスの手際、手法といったものを味わう楽しみ方も容易にできる、マルケス入門にお勧めの一冊となっています。
時代を超越
★★★★★
映画と原作両方を目にする機会はそんなに多くない。
これはたまたま両方見た。
ディテールの書き込みなど小説の方に一日の長があるのは必然。
とはいえこの真実の物語はドキュメントを越えて胸に突き刺さる。
時代を超える作品。
リアリズムの底に垣間見えるマジック
★★★★★
一見、マジック・リアリズムの「マジック」の部分がかなり抑えられた作品です。ただ、野谷文昭氏が解説で指摘しているように、彼の作品のエッセンスはかなり濃厚に凝縮されてる小説ではあります。
古い共同体が否応なく近代化していく時代を背景に、結婚式や司教の歓待といった共同体的祝祭が、些細なことが発端で血みどろに染まる様、そしてそもそもなぜ殺人予告を街中の人間が知っていたのに被害者は殺されなくてはならなかったのか、等の謎が丁寧に語られる。勿論、謎は謎のまま幾つか残っており、それがリアリズム描写の底のマジックを不気味に感じさせる。
あっという間に起きたたった一つの事件の風景が何度も描写されているのに、全く厭きさせない。スローモーションとリフレインを上手に使った映画のような映像が目に浮かぶ作品です。これが中上健二のいった「構成力」というやつなんでしょうか。