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調査されるという迷惑―フィールドに出る前に読んでおく本

価格: ¥1,050
カテゴリ: 単行本
ブランド: みずのわ出版
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目からうろこ、地球の音がきこえてくる。 ★★★★★
この本をいただいた時 読んでいた小説を早めに読み上げて、さっそく読んでみた。

『調査されるという迷惑――フィールドに出る前に読んでおく本』

タイトル通りの本なのだが、

しかし、この小冊子が小説のようにおもしろいのはナゼか。

いや、この本の事実は小説よりもおもしろかった。

大学の先生のゼミに参加しているような本なのだが、

しかし、そこで上質の映画を見ているように引き込まれてしまうのはナゼか。

映画のタイトルは、たとえば「フィールド」とか Field でもよい。

「調査というものは地元のためにはならないで、かえって中央の力を少しずつ強めていく作用をしている場合が多く、しかも地元民の人のよさを利用して略奪するものが意外なほど多い」

という、第一章 調査地被害――される側のさまざまな迷惑(宮本常一)の最後の文章、

第二章 される側の声――聞き書き・調査地被害(安渓遊地)につづいて

第三章 「バカセなら毎年何十人もくるぞ」(安渓)

大学を出たばかりの著者(安渓)に浴びせかけられた調査地の人たちの言葉の数々が

おもわず、息をのむほど生々しく、するどい。

どこかに、おかしみも感じられるが。

調査被害にあった人たちの言葉をありのままに紹介するのは著者自身への自戒が込められている。

その自戒は現在進行形だ。想像をこえた世界だった。

そこに著者の研究に対する真摯で厳しい態度をみた。


第四章 フィールドでの「濃いかかわり」とその落とし穴(安渓)

著者(安渓)の体当たりの半生をかいま見る思い。

学者の概念を超え、フィールドは世界にまたがる。

じっさい、もう一つの小説か映画になりそうなテーマも含まれているのではないか。

調べるとは? コミュニケーションとはなにか?

社会とはなにか

学問とはなにか

人生とはなにか

さらには

人間とは何か

ということを考えさせられる内容だ。

この小冊子が、これほどのことを考えさせてくれるのはナゼなのか。読めばわかるさ。

ブログもTVも、調べて発表する、ということと無縁ではない。

学生でないあなたの日常生活のフィールドでも。

文化人類学の一番の基本「みんなちがってみんな変」P67

中国の革命家孫文の 「知るは難く、行うは易し」体が動かないのは頭でしかわかっていないからだ。こころから納得すれば自然に行動にあらわれる。P84

ほか、珠玉の言葉が、さりげなくちりばめられている。
はっとさせられる内容 ★★★★★
大学・大学院生の時、同じように研究のために調査をしていましたが、実際、自分が調査したさいには、どういった迷惑をかけてしまったのかを考えさせられる1冊です。
内容も多岐にわたり、実体験者ならではの話も多く、一気に読んでしまい、何度も読み返したくなる内容です。
調査地被害について ★★★★☆
『忘れられた日本人』などで知られる民俗学者、宮本常一氏の「調査地被害」という文章(1972年)を第1章とし、以後その問題意識を引き継いで、第2章から第7章まで安渓遊地氏がフィールドワークの経験にもとづいて「調査されるという迷惑」を語っている。

著者たちはこのブックレットを通して、野外調査(フィールド・ワーク)が、場合によっては調査対象となった地域の社会や資源を破壊することもあると警告している。

「おまえ、何をしに来た。なに調査だ? バカセなら毎年何十人もくるぞ」

調査地の一つ、西表島の人々から安渓遊地氏に浴びせられる言葉には、地域社会に対する学者の態度への怒りがはっきりと現れている。しかし、地域に良かれと思って行動すると今度は学者としての立場を放棄せざるを得ない事態が生じる。その問題についても安渓遊地氏は体験を語っている。

調査地被害に関しては、網野善彦『古文書返却の旅』(中公新書)も併読すると良いと思う。そこには宮本常一氏が返却していなかった対馬の古文書を約30年後に網野氏が返却する話が出ている。
刃は読者にも ★★★★★
本書を読むにあたって、私は、かなり大きな偏見をもっていました。
でも、それは誤りでした。
研究する側の利害もまたローカルな価値でしかないとすれば、かえって、「調査される」側
の利害や立場や生活といったローカルな価値と対等なものとして、研究者側に特権が成立し
ないことと同様に、「調査される」側の特権も成立しないのではないか、とか。
あるいは、同じ権利を持って並立するローカルな価値を超えて、研究する営為には、一定の
意義があるのではないか、とか。取材者側の編集権が、被取材者側のプライバシーと独立に
想定されるように。
でも、全然、間違っていました、私。

考えてみるまでもなく、私たちはみな、フィールドワーカーです。
とりわけ民俗学や人類学の学的営為にコミットしているわけではなくとも、意識的に自分の
おかれた状況を陳述的に把握している限りで、学校に通っていても、会社に勤めていても、
家族と過ごしていても、友人とメシを喰っていても、私たちはみな、フィールドワークをし
ています。
だから、本書で著者によって示される大きな警告は、私たちみんなが、毎日を送っていくに
あたっても、必要な自覚でありました。

不明を恥じる次第です。