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私小説のすすめ (平凡社新書)

価格: ¥735
カテゴリ: 新書
ブランド: 平凡社
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すぐれた純文学小説論 ★★★★★
 著者の小谷野氏はさすが根っからの実証主義者だけに、たえず事実に即して論が展開されている。これを読んで小谷野氏の小説作品を読もうという気はほとんど起こらなかったが、この本自体は面白く、学ぶところが多かった。賛否あるにしても、日本の文学としての小説について考察したいときの必読書になるだろう。
 私小説を日本文学固有の小説形態として捉え、虚構の物語として成立している欧米近代の「本格」小説に比べて、劣るものとして断ずる昨今の文藝批評に対して、小谷野氏は、私小説的小説形式は必ずしも日本固有のものではないし、優れた文藝作品は、欧米にあっても私小説的な、つまり自己告白的もしくは自伝的な内容を秘めているのだとする。勘違いは、近代日本独特の西洋へのコンプレックスとともに、狭い文壇の人間関係から実体験を書けば、素の事実やモデルが発覚しやすいこと、そして原稿料のため次々と書いて、小説を練り上げる時間的余裕がないため、事実の洗練・変形が不十分であったことなどに起因するのだと述べる。なるほど説得力がある。
 とくに恋愛=男女関係における、みずからのダメさ、みじめさ、醜さを曝すことによって、書き手は成長することができるとしている。ここに、ブログや通俗小説とは決定的に異なる、文学としての小説の存在意義を認めているわけである。趣味的な偽悪的表現に傾きかねない危ういところで、小説の表現を求めているといえよう。氏によれば、テーマの設定および追求などにあまりこだわる必要はない、とのことであるが、これはまず実作(創作)を試みようとの実践的アドバイスとして受けとるべきだろう。文学としての小説を書こうとする人へ、勇気を与える書となっている。
私小説を書くことにコンプレックスを抱くな、という励まし(?)の書 ★★★★☆
 著者は最近、読みやすそうな新書を次々に出していて、これもその1冊。帯(初版第1刷)にも「才能がなくても書ける。それが私小説。その魅力を説き、『書きたい人』に勧める」とあって、名誉毀損なんて気にするな、下手な小細工はせずにありのままを書け、自分の情けなさを曝け出してナンボ、などと背中を押している。巷で「小説の読者より多い」とも噂される「書きたい人」市場を狙った1冊なんだろうと思う。私も気楽な読書を楽しませてもらったが、やはり中村光夫を論じた第3章が面白かった。
 中村については『風俗小説論』は面白かった記憶があるが、他は二葉亭四迷論とか近代小説論とかをチラホラと読んだくらいで、私に特別な愛着はない。本書でも取り上げている蓮實重彦と中村の対談(p99参照)で、蓮實が妙に中村を持ち上げていて、私は自分に教養がないから中村のエラさが分かんないのかな、などとボンヤリ考えていたくらいのものだ。しかし田山花袋と二葉亭四迷、この2人に対する中村の評価の落差を、小谷野は中村の家族史から読み解いており、そういう観点で中村を論じたものを読んだことがなかったので非常に新鮮な印象を受けた。ただ、ちょっと切り方が鮮やか過ぎて、ホントかなという疑念も少し……。
 それにしても私が気になるのは小谷野の蓮實重彦に対する評価で、このような本を書く著者が蓮實を快く思っていないのは間違いないと思うのだが、正面から批判した文章はないのではないか? それどころか本書では、蓮實は中村の議論の矛盾に気付いていた人間として登場する(p107)。
 私自身の考えを付け加えさせてもらえば、私小説であれ何であれ楽しめればいいワケで、しかしその楽しみの比重が「暴露性」にかかっているとは思わない。テクスト論や構造論が面白くないのも確かだが、この本の議論はやはり後退ではないか……ただし後退であっても、読み物としては楽しく読めた。
眼目はいいと思うが ★★★☆☆
こういう挑発的なスタイルや、論争を意図的に挑もうとする姿勢、そして確かに明らかに不当なバッシングの対象となっている私小説の擁護という珍しい姿勢、これらは非常に好感が持てるが…
肝心の擁護の方法には、少し違和感を覚える。例えば蒲団の擁護などが、結局のところ「長く読まれてきたから」といった理由で最終的に評論家達に対抗している節があり、それはさすがにどうだろうかと思う。蒲団は残念ながら、(良い悪い別にして)「悪しき私小説の代表」としても名を残してるところがあり、自分も悪い作品とは思わないが、私小説擁護としては循環してる印象を受ける。
歴史的な経緯についてや引用等については単純に面白かったが、日本の私小説≒自然主義についてもう少し理論的な擁護があれば読み応えがあったように感じる。著者の言いたいこと(私小説を悪者にしたてて、心境小説等が持てはやされてるのはおかしい)は共感するので、もう少し詰めた内容のものを今後期待したい。
軍配は大塚英志 ★☆☆☆☆
この作家の本はもう一冊読んだが、そちらは題材になっている作家を誰も読んだことがなかったので、そういうものかと思って読んだ。
 しかし、こちらでは熟読している大塚英志の批判がある。どうも、著者は大塚英志を誤読しているのではないかと思った。細かい批判はできているが、大意がつかめていないのではないか?
 「キャラクター小説の作り方」が題材だったが、大塚は別に、お話を作れるようになるとは書いても、売れるものができるという保証はしていない。それを売れるものができると書いているかのようにとってしまうのは、文章の始めと終わりが一致していないことを指摘している割に、きちんと読んでいないのかと思う。また、私小説を書くことに対する根性論だけ書いて、売れる以前に私小説の書き方を書いていない著者と比べると、軍配は大塚に上がるかと思う。
 しかし、両者共が自分のジャンルが迫害されていると思って擁護論を書いているのは、端から見ると面白い。
 気になっていた私小説のモデル問題については、私小説以外、報道・ノンフィクションなどでもこの種の問題は起きるという議論のすり替えで免罪されている。私小説のこの側面に関しては、小説だが吉村達也「「鎌倉の琴」殺人事件」の中で論じられているのが面白かった。
私の物語の擁護 ★★★★☆
私小説の存在意義を論争的に主張する本。推理小説・SF・ファンタジー等の虚構性の高いものではなく、リアリズム的な物語を執筆する上では誰もがまずは自己の体験をモデルとして「使用」しないと書けないだろうと、主に近現代の文学史のなかから従来は「私小説」とは扱われてこなかった作品を「私小説」として言及していく部分がまず面白かった。だがそれ以上に刺激的だったのが、私小説批判論者を徹底的にやりこめていく議論で、過去からは中村光夫、現在からは大塚英志が「敵」として取り上げられている。特に後者については「やっと言ってくれたか」という感触があり、私的にもこの人の「近代文学論」は何かおかしいという気がしていたので、溜飲が下がる思いがした。
また私小説の作家としての立場からもこのジャンルのメリットが述べられており、こちらもなるほどと思わせる指摘が少なくなかった。「小説を書きたいのだが何を書いていいかわからない」という人には、別に「売れない」がこの形式は断然おすすめできる、と言い、また「私」の屈託やこれまでの人生の中で味わってきた苦悩、いやそれ以上に「みじめさ」「なさけなさ」を留保なく記述するこの小説作法は、ある種の「治療」や自己の「成長」にもつながってくるはずだ、と読者の背中を押す。そういうことならいずれ自分も書いてみようかな、と思わせるに十分な魅力のある私小説肯定論であった。