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自然現象と心の構造―非因果的連関の原理

価格: ¥2,100
カテゴリ: 単行本
ブランド: 海鳴社
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パウリ入魂のケプラー論が出色 ★★★★☆
随分以前に読んだが、最近ケストラーのケプラー伝を読んだので再読。
ユングとパウリの論文が収められているが、ユングのものは正直どう
でもいい。素直に読めば本質はオカルトそのものです(検証しえない
事物の背後にある「隠されたもの」を問うという、言葉の本来の意味
でもそうです)。フロイトと襟を分かつ主因となったといわれる方向
性が遺憾なく発揮されています。

パウリの論考にはユングとは少しことなる色合いを感じます。
「科学的理念の展開に対して知識の前科学段階が持つ意義」と述べて
います。パウリ自身、合理性が悉く常識的枠組みを打ち壊していく量
子論の画期を切り開くなかで、多分内なる何かを感じたのではないで
しょうか・・・。ケストラーはケプラーのそうした要因を「固定観念」
と控えめに表現していますが、パウリははっきりと「元型」といいき
っています。パウリ自身が「こう考えざるをえない」と感じたその時
に、そうした自分をギリギリのところで誘導する何かを考えざるをえ
なかったのか?ユングのどちらかというと形而上学的(そう呼ばざる
をえないでしょう)な非因果律原理、元型論に対して、パウリのそれ
が、もっと実感のこもった経験者の趣を感じさせるのは気のせいでし
ょうか・・・ケプラーへのシンパシーみたいなもの。

観察者と観察される系の間の「裂け目」という言い方もしています。
直接は所謂、不確定性のことを指しているのでしょうが、「裂け目」
という比喩に託したのは、たぶんウィトゲンシュタインの「世界の限
界」と同じ認識だと思います。科学的合理性の臨界点、とでもいいま
しょうか。。。
パウリは自分が歩いてきた道をふとふり返って、なにかそこにその軌
跡を創造せしめた理を感じ、同じようにその何かに翻弄された同類
としてのケプラーに強く惹かれたのではないでせうか。そんな気がし
ます。



W・パウリの真の意図は? ★★★★★
パウリと言えば、現代物理学の中で異常に大きな業績を残した鬼才であり、量子力学の形成、場の量子論の創造に基本的な役割を果たした。パウリの排他律、β崩壊の理論におけるニュートリノの導入、基本的なものを数え上げても切が無い位だ。その確かな洞察力は、多くの物理屋に信頼をかち得ていた、と、云うより恐れられていた、と云うのが正しいであろう。パウリは、余りにも鋭過ぎるのである。わずか21歳で書き上げた「相対性理論」は、今も名著として通用している。翻訳と解説を書いた内山龍雄先生は、若いパウリの天才に舌を巻いている。この歳でパウリは、それこそ物理学の文献の大半を読みこなしていたらしい。

然し、この付は、後年パウリを襲った、彼は、その研究を進行する為、夜の大半を異常な集中力を持って研究した為、不眠症になり、その解消を睡眠薬と言う手段で解決したらしい、数学者F・クラインと、同じ方法を採ったのだ、その副作用は、後年の心的平衡の乱れを生んだのであろう。ETHの教授をしていたパウリは、C・ユングに治療を受けていたと言う。もし、この様な長年の薬の使用が無ければ、パウリはもっと長生きしたかも知れない。

数学と物理的洞察の天才であるパウリが、この様にヨハネス・ケプラーを取り上げ、その創造性の深遠を、探求するとは信じられぬ思いが強い。何故ならパウリは、数学的合理性の鬼才の様に思えたからだ、確かに、ヨハネス・ケプラーは、「天体力学」の先駆けであり、総じて、近代科学の源流の一人である。彼は、神聖ローマ帝国の宮廷数学顧問官で在ると同時に、占星術師であり、占星術的世界観を、心底信じていた人である。そういう反面、ケプラーは、惑星系の調和を、正多面体の内接による天体構造として模索し、J・ベルヌよりも三百年早く、月への旅行を夢想していた人でもある。

この本と、直接関係はないが、1970年河出書房が出した、アーサー・ケストラーの著書、「夢遊病者達]の中のケプラー伝は、ドイツ三十年戦争の最中に、新世界を開拓したヨハネス・ケプラーの苦闘の人生を、感動的に描いている。神聖ローマ皇帝の、占星術と数学の顧問官であった、ケプラーは、当然、規定の給料を貰う権利があった、にも拘らず、皇帝は給料を支払わない為に、ヨハネス・ケプラーは、何時も、食うや食わずで、貧乏の真っ只中に居た。彼の生きた時代は、ドイツ三十年戦争という戦乱の悲惨な時代であった。食う為の職を求めて、彼は、ドイツの各地を放浪して歩いたのである。そんな中で、自分の死が間近い事を悟る事になる。ケプラーは友への、最後の手紙の中で、「世界が殺戮と破壊の中に在るこの時、もう直ぐ自分の命は尽きてしまうが、天体と惑星の研究を通して、遠い未来の人類の中に、希望の碇を下ろす、この仕事ほど尊い生き方は無いと思っています…」と、書き送っている。彼は、それから幾らもしないで、孤独の内に餓死してしまった。ドイツ三十年戦争の爪あとは、大きく、ドイツの人口は30%減少したと言う。取分け、文化の根幹を支える、創造的な知的エリート層を、一網打尽に葬って仕舞う為に、ドイツは、文化的な長い停滞に入るのである。カトリックの神聖ローマ帝国皇帝と、プロテスタントのドイツ諸侯の約束である、「ウェストファリア条約」は、ドイツを、数十の小国の連合体とする事に成り、ドイツの弱体化を目論んだ、ブルボン王朝の宰相、枢機卿リシュリューの、目的は達成された。そして、ドイツは、ビスマルクの軍事力に拠る真の統一まで、その民族のポテンシャルと、科学文化の底力は、削がれるのである。この本を読んだのは、今から、三十五年も前の事だが、投稿者のケプラー認識を、今以て規定している。

ケプラーの、時代を超えた偉大な才能は疑うべくも無いが、「共時性」と謂う概念を基に、このパウリが、ユングと共に、人間の認識と創造性に関する深遠を、共同研究するとは思わなかった。「因果律と存在論」の統合としての認識論は、我々の時系列とは異なる時系列が、この宇宙には在るのか!と、いう問いを惹起する。この、合理的知性を越えた、ところの世界にパウリが心底興味を抱いたとするならば、それは、極めて面白い事だ。
事に拠ったら何か在る?と、パウリは、感じたのであろう。彼の、洞察がどこに有ったか?は、この書を読み、それ以上に、問題を自らのモノとして問う事だろう。

人間の「無意識の深遠」、そして「理解の起源」を解釈したい。そして、真に理解したと言い得るのは、理解しようとする対象と同値のモデルを、自分自身の洞察で創り上げた時だろう。心という現象の、意味、思念・意識の効果は、今以って、真に分析はされていない。その本質を、我々が未だに理解して居ない事は確かであろう。そういう意味で、この本は、物理学の真の奥底に横たわる「形而上学と認識」・「表層知の限界」の問題に、触れて見る機会と、反省をもたらすかも知れない。
偶然の一致はあるか ★★★☆☆
 ユングと高名な物理学者のパウリは意味のある偶然の一致(シンクロニティ)について、非因果的な法則があるのではないかと共同で研究する。