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人間科学

価格: ¥1,901
カテゴリ: 単行本
ブランド: 筑摩書房
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 『ヒトの見方』、『からだの見方』、『唯脳論』などの著書を持ち、東京大学名誉教授、北里大学教授を兼務する養老孟司が、「人間とはなにか」という根源的な命題に迫った1冊。著者の専門である解剖学をはじめ、脳や遺伝子研究、生物学などをもとに、斬新な視点が提供されている。

   タイトルとなっている「人間科学」とは、「『ヒトとはなにか』を科学の視点から考えようとするもの」であり、著者はこれに対し、「それなら、科学とはそもそもなにを扱うのか」というところから議論を始めている。現代科学の問題点を鋭く指摘し、科学と人間を「情報」という視点で結びつけようとする試みは、斬新で説得力がある。

   著者は、本書の中で「情報と実体」という概念を用いてさまざまな事象を説明しようとしている。ここでいう「情報」とは固定化された事象であり、「実体」とは常に変化する、固定化されていない事象のことである。著者はこれらの概念をもとに、人間の思想や社会、果ては都市にまで言及する。著者によると、「巨大化したヒトの脳は、徹底的に意識的な世界を生み出した」のであり、現在もなお、あらゆるものを意識的に統御しようとしている。情報化社会とはあらゆるものを固定化しようとする動きであり、そこには実体をありのままに受け入れるという姿勢が欠如する恐れがある。

   著者自身「あとがき」で述べているように、本書は進歩を続ける著者の思考の過程であり、読んでも体系的な知は得られない。だが、ここで述べられた人間観は、これまでにない斬新なものであり、「養老ヒト学のひとつの到達点を示す」ものである。(土井英司)

『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり』 ★★★★☆
これに、なぜ?と疑問を感じる人はきっとあまりいない。そこには、現代の日本人にも通じる何かがある、と思われるから。それに対して作者は問いかけを行う。

「鐘は剛体だから固有振動数で鳴る。それなら、鐘の音はいつも同じはずである。中世の人だって、そんな事は知っていたはず」
それなら、なぜ、同じ音が諸行無常を示すのか・・・

今まで気にかけたことも無いような問題に対し、作者独自の「見方」を示し、そうした見方を採用する事によって、どういう視点が開けるのかを、様々な分野で展開してくれる。

学問における一般的基準を、絶対真理としての『神』ではなく、『人間』に取り戻すためにはどうしたらいいのか。そんな事を真剣に考えている人がいる、と知る事だけでも、この本を手にする意味はあるように思われます。
さすがの養老節です ★★★★★
今では「バカの壁」で良くも悪くも有名になってしまった養老孟司氏が、その「バカの壁」以前に発表した著作。
人間を従来の客観的に、物質・エネルギー系からの視点で説明するのではなく、そこに情報の理念を盛り込み説明を試みるのが、養老流「人間科学」と言う。

考え方としては、「唯脳論」以来の「脳は世界を意識に取り込もうとする」ことを基本に、論を展開していると思う。
ただ、その時よりも分かりやすいと感じたのは「情報記号とシステム」という構造として「言語と脳」「遺伝子と細胞」という視点を明確にした点。
その背後にはヒューマンゲノム計画によって解明されつつあるゲノム解析の結果、現代の基礎科学の結果があることが予想される。

私は
■上記のように現在に基礎科学の結果を視点に取り入れたことで、その結果によっては養老氏の論が変更されることが予想される(本人も脳は変化することを「君子は豹変す」の例を出して説明しているので)ので、その時にこの本をベンチマークとして変更された論と比較が出来るであろうこと

■文中に養老氏は「自分が主張したことを正しいと捉えられる人が多いと思うが、自分はこのようなモノの捉えかた、立場で物事を考えたときに、世の中がどう見えるかである」といった主張をしている。そのことは「バカの壁」以来誤解も多くなっている著者の基本的なスタンスを改めて確認することができる
といった点からこの本を、良くも悪くも養老孟司氏が気になる人に薦められます。

養老氏の考え方・モノの捉えかたは、今までの社会科学には無かった視点だと思います。
しかしながら、そう物事を捉えた時に「どうしたらいいか?」まで主張されていない点が消化不良を感じてしまう(特に「自分を認識するためには異物の排除が基本的に発生過程からあると捉えた時の差別の問題など)ことが多いと思います。

とはいえ、そのような視点を是とした時に自分達がどうするか?というのが養老氏からの宿題なのかもしれませんが…。それはそれで面白いと思います。
『人間科学』読後感 ★☆☆☆☆
私が生涯に読んだ最も不愉快な本。後味の悪さだけが残った。その不愉快の源は、「~である」の体系である学問をお面のように前面に立て、その後ろに「~すべし」をそっと忍ばせて、これら全体を人であれば一人の例外もなく従わざるを得ない人間「科学」であると言って来る事である。
 本書の基本を成す細胞-遺伝子、脳-言葉と言う「~である」の陳述は無論正しいのだろう。しかし「~である」と「~すべし」は独立であり、前者から後者を導き出す事は出来ない。個別箇所に対する批判は無数にあるが、一つだけ挙げると情報を固定した存在として、都市化、一神教、共通了解へと進む下りであり、最後に「理解されない個体は排除される。それが現代においても、ヒト社会の厳しい規則であることは、だれでも納得するはずである。」と結論付けている。そうすると既存の体系内の異物、体系外の者は排除されて当然と言う「~すべし」を帰結するが、いじめられる者は体系内の異物であり、又、天才は既存の体系に存在しなかった体系外の新たな思想を提唱する者であるから、いじめを肯定し、天才を抹消する事になる。ここでは、既存の体系を打ち破って発展を遂げる、人間の最も本質的な要素が見落とされている。
 こうした「~である」から「~すべし」への転換は、古くは19世紀の社会ダーウィニズムにも見られるが、そこには科学と称して動物に対する「~である」から人間に対する「~すべし」を導く危険な飛躍がある。
 そうすると、そっと忍ばされた「~すべし」を白日の下に引き摺り出して正面から検討する事、即ち、深刻な哲学的思考が必要となる。そうではなく、解剖学、脳科学等の知見から今あるものを「~すべし」の形で安直に是認するのは体制側の御用学者になる危険もある。
 著者も本書の最後で、人間科学というのは哲学よりもう少し不純な学問であると述べているが、人間科学とはこんなに不純な学問なのかと思った。
養老「二情報系人間学」:今西理論と自ら接合 ★★★★★
本書をありふれた『人間科学』としたのは大変惜しい。何しろ本書には「意識を科学の対象とする議論」として革命的内容が書かれている。書名にするなら『二情報系人間学』だろう。本書でいう「二つの情報系」とは、遺伝情報系と脳情報系であり、両者を「生きたシステム内の情報機能」と捉える。つまり遺伝情報系と脳情報系は明確に対置できる物質的機構であると位置づける。ここで遺伝情報系については、情報(遺伝子)の翻訳・複製システムが自然科学的に説明されている。だったら脳情報系も、その情報翻訳・複製システムを表すことで、意識を生み出す機構を解明できる。それによって「意識」は哲学の問いでなく科学の問いになる。本書はこう捉える。これは養老氏一流の革命的な着眼点であり、敬意を表したい。本書はさらに「二つの情報系」の対照関係も示している。それによると「遺伝情報系/細胞:遺伝子」に「脳情報系/脳:言葉」が対照される。しかしこれでは人間「脳」限定の理論的枠組みだ。なにしろ“遺伝子”に“言葉”を対照させたなら、言葉を持たない人間以外の「動物脳」を説明できない。それでは最初から自然科学の理論にならない。科学的に「二つの情報系」を対照させるなら、「細胞:細胞核:遺伝プログラム」に対して「個体:脳:脳プログラム」(水幡)だろう。これなら脳プログラムの翻訳・複製システムの解明で、「意識」も「意識の進化」も科学的な説明対象となる。それで最近では『新今西進化論』(星雲社)を「二情報系の進化学」とも呼ぶようにもなった。ちなみに著者は、本書第9章で、「たがいに了解可能性を持たない脳は、しばしば種を分けてしまうに違いない」と書いている。これは今西の「棲みわけ」による“種分化”そのものだ。養老「唯脳論」思想が今西理論と自ら接合した“決定的一文”と言える。
反マルクス的唯物論的唯脳論 ★★★★★
ä¹...ã€...に読み応えのある本にであった。
私は養老氏の本ははじめてだが、たいへã‚"に好感ã‚'覚えた。

人é-"ç§'学とは、人é-"というものã‚'自然ç§'学、社会ç§'学、人æ-‡ç§'学など多æ-¹é¢ã‹ã‚‰åˆ†é‡Žã‚'è¶...えてç "究するæ¯"較的最è¿'の学問だ。とã"とがそのå†...容は、単にそれらの講義ã‚'ミックスさせただã'のものから、ある分野の専é-€æ€§ã‚'徹底的に人é-"というものにç...§æº-ã‚'合わせたものまで様様である。

養老氏は、解å‰-学のè¶...有名なå...ˆç"Ÿã§ã€ãŠã³ãŸã ã-い数の人ä½"ã‚'見てきたであろう。そう人が専é-€æ€§ã‚'ç"Ÿã‹ã-て意見ã‚'述べるというのは大変興å'³æ·±ã„。

å†...容も、一般人にもわかるように、同じ事ã‚'言いæ-¹ã‚'変えて何度も何度も説明ã-ている。専é-€å®¶ã«ã¨ã£ã¦ã¯æ­¯ãŒã‚†ã„だろうが、とかく一般人にはわからないようないいæ-¹ã«çµ‚始ã-て専é-€å®¶!ã!!¶ã‚‹äººãŒå¤šã„中、ほã‚"とうに頭が下がる。

å†...容は、人é-"ç§'学の定義に始まり、物事の根本ã‚'意かに考えるかè'-è€...の考えæ-¹ã‚'明確にã-(物質とæƒ...報に分ã'て考える)、遺伝子とç'°èƒžã®é-¢ä¿‚、言è'‰ã¨è„³ã®é-¢ä¿‚などã‚'例に、最æ-°ã®ç "究のè«-議などã‚'ç'¹ä»‹ã-ながら、話は、æ"¿æ²»çµŒæ¸ˆã€ç¤¾ä¼šç§'学の分野まで広がってã-まう。

最後に、進åŒ-とç"·å¥³è«-について考えて終わるが、学è€...にã-ては非常に大胆なæ-‡ç« ã§ã€èª­ã‚"でいてスカッとã-た。とかく自分の専é-€åˆ†é‡Žã«é-‰ã˜ã"もって、専é-€å¤-のã"とは知らぬ存ぜぬという人が多い中、解å‰-学の専é-€å®¶ãŒç¤¾ä¼šã®ã‚ã‚Šæ-¹ã¾ã§è«-じているのは、「学è€...とは本å½"はã"うあるべきなã‚"だな」と感心させられた。

また、ç§'学的に証明されていないといわれる、ダーウィンの自然選択説、メンデルの遺伝è«-についてã!‚‚!!、どう捉えるべきかが明記されていて読み応えがある。

確かに、高校程度のç"Ÿç‰©å­¦ãŒã‚ã‹ã£ã¦ã„ないと読むのがきついが、偉い学è€...がã"ã"まで大衆にも読める専é-€æ›¸ã‚'かいたのは賞賛に値する。