印象に残った言葉
★★★★★
いやしくも人のために生涯を捧げる使命をもつ者は、過酷な
試練を体験しなければいけないのです、もはやこれ以上耐え切れない
と思うギリギリの淵まで追い詰められ試されなければいならない
のです。地上のいかなるものからも救いの手は差しのべてもらえない
思える深淵までおちてみなければならないのです。
そこに至って初めて魂が目を覚まし、霊界から届けられる豊かさと
導きと叡智と愛とを受け入れる用意が整うのです。過酷な体験の目的は
慈悲の心を芽生えさせることにあるのです。なぜかといえば、慈悲の心
なくしては霊覚者も治療家も真の意味で人を救う仕事はできないからです。
究極の問いには答えてもらえない………
★★★★★
2008・4・6加筆
『シルバーバーチの霊訓』シリーズ全12巻であるが、
最終巻はこれまでの総集編であり、エッセンスをまとめたものであるため、
実質、この第11巻が最終巻である。
これまでこの第11巻まで、興味深く食い入る様に読んできた。
シルバーバーチは決して全てのことを明らかにしてくれたわけではないが、
それでも多くの難問・疑問に答えてくれている。
それには私もたいへん感謝をしているし、これから読まれる諸氏も、
きっとそう思うことであろう。またシルバーバーチによる回答も、
私が個人的にこれまでの人生で体験してきた貴重な霊的体験から、
間違いないと確信してきた「真理」と矛盾するものは少ない。
(矛盾といってもディティールや表現が多少異なるだけだが…)
それだけに私が知らなかった事項もきっと真実だろうと感じている。
シルバーバーチの霊訓がたいへんな真理の言葉であることは読んでもらえればわかる。
しかしそれでも、私には未だにわからない問題がひとつ残っている。
シルバーバーチも「私にも我々がどこから来てどこへ行くのかわからない」
また、「神を見たことはない」と潔く認めているが、
全てのシルバーバーチの言葉は、我々の魂が生き通しで、
永遠に修行を続ける存在という前提の元で話を進めている。
(インドの釈迦も、この辺に関しては明言を避けている。
「毒矢の譬え」によって、そんなことを考えている間に、寿命が尽きる。
だからとりあえずは、今現在を一生懸命に生きよとのスタンスだ。)
シルバーバーチほどの高級霊でも、究極のことはわからないと言い、
我々が死んだからといって、「神」の姿を見たり、
実際に会えるわけでもない事が書かれているが、
問題はここだ。果たして創造主たる「神」は存在するのか?
シルバーバーチは「神は法則として存在する」という。
しかし意味が良くわからない。それならば神は単なる物理法則でしかなく、
この宇宙は偶発的に運よく誕生しただけなのであろうか?
神の一撃はなかったのであろうか?
シルバーバーチは宇宙は悠久の昔から存在し、
これから先の悠久の未来にも永遠に存続すると言う。
私がいよいよわからないのは、宇宙の始まりはともかく、
なぜ人間が「存在」するのかということだ。
我々の魂が永遠であることは私は「信じている」のではなく
もはや「知っている」段階である。
しかし、この我々の魂とか意識というものは如何にも不思議ではないか。
ここで、「神」に対する苦言なのだが、
私は「神」に自分を創造してくれとは一言も頼んでいない。
神に感謝するどころか、かえって、余計なことをしてくれたと思っている。
我々が頼みもしない「神」の気まぐれによって、勝手に創造されてしまったために、
我々は様々に苦しまなくてはならない(苦しくない人はそれで良い)。
生命=霊=意識の誕生そのものについて、何者の関与も無く、ただただ
自然発生的に湧いてきたのなら諦めのつけようもあるし、
致し方あるまいと思う。
しかし、真理を知れば知るほど、「神」の存在を感じずにはおれない。
やはり創造主たる「神」はどこかに鎮座しているのではないかと感じる。
それならば、人類の前に「神」が姿を現さず、直接真理を説かず、
愚かな人類を直接に統治せず、あまつさえ地上のこの混乱に対し、
高見の見物を決め込んでいるようにさえ思う「神」という存在を、
卑怯者だと感じるのは私だけではないはずだ。
シルバーバーチにはその辺りを詳しく説いて欲しかった。
The great wisdom was revealed
★★★★★
シルバー・バーチの教えは崇高としか形容出来ない。
一人でも多くの人に読んでいただきたい。
シルバー・バーチは説く。
「過ぎ去ったことは忘れることです。すでに後ろのものとなりました。前にあるものが大切です。言うまでもなく、今あなたが味わっている結果を生み出した原因は過去にあります。しかし同時にあなたは、これから結果を生み出す原因を今作りつつあるのです。良いタネを撒くように努力なさることです。月並みなことを申すようですが、やはり真実です。取り越し苦労はいけません。心配は無知から生じます。真理の光の中で生きることです。
地上というところは、あなたがこれまで大勢の人にいろいろとお世話になったように、他人のために自分を役立てるためのチャンスを与えてくれるようになっております。道は必ず開かれます。あなたは人間である以上いろいろと間違いを犯します。弱点をお持ちです。長所ばかりではありません。人間味の本質は欠点があるということなのです。だからこそ地上へ来ているのです。
その地上において完全を成就するということは不可能です。しかし、いずれは生活することになる次の世界に備えて、その地上にいるうちに教訓を身につけていくのです。」