イギリスではいまだにこれが定番
★★★★☆
ひさしぶりにレコード店(死語)を巡って探した際に入手した。
英Lyrita盤LP録音のCD−R盤での再発物だった。
しかし何と言っても注目したのは、故ノーマン・デル・マーの
演奏したBaxの交響曲第六番である。やっとCD化されたか。
どうしてこれが注目かというと、実はこの演奏こそが今もって
英国のバックスファンの中で特別に敬意を払って圧倒的支持を
受けている録音なのだからなのだ。こんな古い録音で?しかも
指揮者もそんなに有名では無いのに何故と思われるでしょうが、
イギリスではこの演奏が定着しているのだ。いまだにLPを後生
大事に聴いている人間が相当数いるのだ。
このBaxの交響曲第六番とは、棒振り(指揮者)にとって、
最も振りたい曲の一つと言われている(ハンドリーもそうだ)
その理由としては途中で曲想がどんどん変化する為、技術的に
オーケストラコントロールが非常に難しい事、それが指揮者側
にとって大いに挑戦意欲が湧くらしい。個々の手腕の見せ所が
あちこちにあるからなのだ。生前にディリアス財団の役員を
していたノーマン・デル・マーはディーリアスの演奏もあるが
主としてはR・シュトラウスの研究家の面を持つ。そんな一面
の故ノーマン・デル・マーが残したBAXの唯一の録音。
ここでの彼は狂ったようなおどろおどろしいまでの集中力で
この曲を進めていく。そのすさまじい演奏(特に第一楽章)
によってファンは度肝を抜かれ、心を奪われたに違いない。
人間初めての出会いがとてつもなく大きく左右し、
そのトラウマを引きずっているファンが大勢いるようだ。
不思議な事に、英Lyrita社はなぜかこの1曲だけでその後
デルマーをBax録音に使わなくなってしまう。
解釈の問題なのか、契約の問題なのかそれとも作品を壊し
兼ねないほどの危険性を感じたのか、いずれにしても不明。
さてこの第六番なのだが、この録音の後、確かに幾つかの
新録音が出ているのだが、なぜかいつも最後の最後になって
引き合いに出されるのがこのデルマーの演奏なのである。
結論はまだまだこれにはかなわないとなるのだ。
あのハンドリーもこの第六番を絶対取上げたかったらしいが、
CHANDOSに収録された新盤とこれを聞き比べてみるとデルマー
ほどの凄みは感じられない。ハンドリーの方はおそらく原曲
に近いイメージを頑固に守ったからなのだろう。
Baxの使徒とまでいわれているハンドリーの事だから師の
ボールト卿のように私情は挟まない演奏を取ったのだから
察しはつく。この盤は録音が古いのが残念なのだがLPに比べ
音は大分改善されてはいる。 ハンドリー盤と違いこの曲の
解釈はとても衝動的な演奏で解釈の取り方が原典を大いに
逸脱しかねない程になっている。逆にそれこそがこの演奏の
魅力になっている。再現音楽として何とも難しい所だ。
ヴァーノン・ハンドリーのChandos盤が原典に忠実に沿って
いるのに比べ、なぜだかこのはずれた演奏にみんなが惹かれる
のはある意味明快なことである。 同じ現象はM・Fredmannの
振る交響曲第二番でも起こっており、こと第二番に関しては
この曲の定番で絶対これしかないとゆずらないというファンが
第6番同じく圧倒的に多い。実は私自身もその一人だ。
さて、カップリングされている残り(失礼)の曲は以前、
Lyritaが録音を既に残しながらも発売されなかった珍しい
序曲集などである。これはハンドリーの遺品となってしまった。
この貴重な序曲集、なぜもっと早く発売しなかったのだろうか。
イギリス小品集の中に含まれていたものも1曲入っていて、
当時は初録音だった。おそらく多分カップリングするべき
チャンスを逸したのか、財政的な理由からだろう。
序曲のうち1曲はハンドリー自身Chandosに交響曲全集の付録
として再録しているから面白い。
(Lyritaへのさやあてなのかどうかはわからないが)
伝説の名演と貴重な録音を聴いてみて欲しい。