ハンドリー指揮のChandos盤を超える出来!
★★★★☆
バックスの交響曲は、ハンドリーとBBCフィルによる全集(Chandos盤)が初体験でしたが、第2番と第5番は特になじめませんでした。そこで、Baxian渡さんのレビューにも誘われて、この盤を購入。聴いてみると、Chandos盤と違って癖のない録音で、それぞれ1970年と71年の演奏とは思えないほどの好音質に驚きました。第2番の第2楽章は、ハンドリーの12分11秒に対し、フレッドマンは11分9秒で振っており、この盤のほうが中間部のテンポが速く豪快で、ダイナミックレンジもより広い印象です。中間部は、1916年の復活祭反乱で処刑されたアイルランドの愛国者P.ピアースにちなんだ作品「イン・メモリアム」の一節が引用されているため、ピアースらを追悼する音楽であるかと思われますが、この盤のほうが彼らの無念さが伝わってきます。第3楽章は、管弦楽をやや慎重に鳴らしたことで、ハンドリーの場合よりも不気味さが引き立っており、Chandos盤では感じられなかった、魔女の棲む森にでも引き込まれたような感覚を味わいました。オルガンが入る部分では、大地が裂けて奈落の底へ落ちていくような恐怖すら感じます。第5番の第1楽章は、ハンドリーの15分46秒に対し、レッパードは17分32秒で、第2主題をよりゆったりと謡わせており、霧立ち上る森と湖、大西洋に沈む夕日といったアイルランドの自然美が目に浮かぶようで、好感が持てます。第2楽章も、単調な繰り返しによる楽章であるにもかかわらず、ハンドリーよりも起伏に富んだ表現で、うまく聴かせてくれます。ただ第3楽章に関しては、この盤でも、最後の盛り上がりが表面的過ぎる印象は払しょくできませんでした。もっと金管を控え目に、Baxian渡さんのおっしゃるように「楽譜通りではなく」演奏されれば、印象が変わるかもしれないと感じました。
この曲(Sym No.2)の最高の演奏はこれだ!!
★★★★★
まだ世の中がLPの全盛の時代だった時の事。世の中にあるであろうまだ
出合った事の無い音楽を求めて探していた頃、ふと立ち寄ったレコード店
(死語ですな)の輸入盤コーナーで発見したLP。少々変ったデザインの
LPだった。それがこの英LyritaのBax交響曲シリーズの一枚だった。
ジャケットデザインは確かキース・フェンスビー(だったか?)で内容に
関しては実はそんなには期待はしていなかった。というのもBaxの名前は
当時未だ未知数で良くは知られていなかった。コリンウィルソンの著作や
太田黒元雄氏の著作に短く書かれているだけで想像上の作曲家だった。
音源に関しての情報はさらに少なく、当時Baxの作品は日本でも海外でも
全く知られておらず、海外のレコードカタログにすら数曲が載っていた
ぐらいだった。その未知の作曲家の交響曲第二番だったから当然期待する
方が不思議。とにかくも家に持ち帰り聴いて見ると、何やら弦楽器の透明
なざわめきに続き、管楽器が何やらあやしげな空気をつくりだし始める。
さらに混沌を予感させるような調性の混じりあった音が続く(復調という
二つの調性を同時に鳴らす音が印象的だった)そしてそれから始まり出し
た異様なまでのカタストロフィーの連続にあっけに取られてしまった。
さらにその間に挟まれている奇妙だが叙情的なフレーズ。混沌の内に終始
する第一楽章。ほとんど呆然として聞き入っていた。さらに深く哀調に溢
れる第二楽章。そして、最後に一楽章を超えるようなカオスに戻り、荒々
しく終わる第三楽章。巨大なオーケストラにオルガンまで加わって轟音が
響き渡る。気がついて見ると私はその怪しげな魅力に完全に取り込まれて
しまっていた。何と言う音楽なのだろうか!名曲とは種類の違ったもの。
オーケストラが軋んでぎしぎしいっているほどだ。ホルストの有名な組曲
「惑星」の【火星】の部分とはちょっと違った意味での似た強烈な衝撃。
この強烈な記憶はこの曲(あるいはBaxの)イメージを完全に決めてしまう
事になった。ちなみにBaxの他の交響曲は第二番が余りにも強烈だった為、
それ程インパクトがない印象だった。
それから、時代は移り、CD時代を迎えたので復活を待っていたのだが、
期待に反してこの英リリタ盤の演奏(交響曲第二番)はとうとうCDには
復活しなかった。
又その後時代は進み、バックスに関しても第二番もいろいろな演奏家の
ものも出始め、私も大いに期待を持ってその都度聴いてみたのだが、
どの演奏もこのリリタ盤と比べると足元にも及ばない不満足な演奏という
印象だった。この演奏はそれほどの魅力(魔力)を持っていたのだと
改めて気づかされた。そこで興味が再度湧いて以前の録音を入手したので
その後いろいろ調べていくと英Lyrita社は交響曲一番・七番に関しては
何とかCDを出したのだが、その後経営不振でつぶれてしまった為、この
第二番の演奏は再発されることなく終わったようだ。他のレーベルでの
演奏がことごとく期待はずれだった為、仕方なくLPをCD-Rにおとして原典
であるBaxのスコアを注文し調べていてあることに気づいた。
驚くことにバックスの指定と違っている演奏部分がかなり随分あるのだ。
Chandosトムソンも、NaxosのD・ロイド・ジョーンズもそしてあのBaxの
使徒と言われているヴァーノン・ハンドリーのものすらもBaxの原典には
わりと忠実な演奏なのだ。なぜ?こんな事に。 そしてこのFredmannの
演奏に最も近いのは最近発掘されたユージン・グーセンスの放送録音の
ものだった。しかしながらこの演奏はいかんせん古すぎて非常に聴き取り
ずらい。そしてやがて気がついたのは、バックスのこの手の曲は正直に
演奏したのでは効果が薄いのかも知れないと言う事だった。
特にこの第二番は他の交響曲と比べ極めて特殊な位置にあり、破滅的な
感覚を持つ演奏が意外と成功するのだ。皮肉なことに当時Lyritaがこの
録音の指揮者として選んだのがM・Fredmannという新人指揮者。
当然ながらオーケストラとのリハーサルなどもも予算の関係で短く、
オーケストラをまとめるのに随分手間取ったろう事は想像できる。
ところがである、その新人指揮者の必死の思いがかえって危うさを生み、
神がかり的な演奏につながったのだから皮肉なものだ。
神がかりといえばバックス交響曲の録音でこの第二番と共に引き合いに
出されるもう一つの伝説的なの演奏といわれるN・デル・マーの振った
第六番がある。その第六番と併せて、この第二番はイギリスにおいても
今だに名演として語り告げられている。
つくづく名演とは一体何だろうと考えさせられる。演奏の不思議さを
実感する為にも是非一回は聞いておくのがバックスのファンとしての筋
というものだと思うが如何に。
カップリングされているもう一曲の交響曲第五番の演奏はレイモンド・
レッパードによるもので、深みに少々欠けるがこれも安定した演奏。
個人的にはBaxの交響曲のカップリングは第六番と第二番にしてほし
かった。しかしながらその当時では考えられなかった夢のようなBaxの
交響曲の聞き比べが出来る世の中になった事を素直に喜びたい。