上海に駐在したこともあるが知らないことばかりだった
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以前、上海には二年間駐在したことがあるが、戦前にあった内山書店のことは、話には聞いていたがよく知らなかった。
『伝説の日中文化サロン 上海・内山書店』(平凡社新書)
を読んで驚くのは、この書店は単に本を売る場ではなく、両国の関係が最悪だった時代の中で育まれた、人間交流の場であったことだ。
しかもそこには魯迅、郭沫若や夏衍などが日参していただけでなく、日本からも谷崎潤一郎、芥川龍之介など大勢の作家が来ると、そこにはまだ無名の中国の若者も集まってきて語り合ったという。中にはゾルゲ事件に関わったスメドレーや尾崎秀実もいたということだ。
話題は、芸術や文学、人生を、そして政治も話題になったようだが、互いの立場を超え、夜を徹して語り合ったという。
とくに、いま話題の『蟹工船』の作者小林多喜二の死を聞いて日本の官憲に激しく怒り、多喜二の遺族のために募金活動の先頭に立ったのは魯迅だったとは驚いた。
そんな中にあって、庶民の目線で交流に腐心した内山書店の店主と陰で支えた妻美喜の生き様は、著者も言っているように、冬の暗闇に燈された一筋の光明として語り継がれているのだろう。
だが今でも中国側から日本に向けられる視線は厳しく、日本人の中には不信感を超えて、中国人=悪人という見方も少なくない。もともと大衆の感情は時の潮流に流され易いもののようだが、どうやら小生もその一人だったらしい。
来月、上海に出張する予定なので、今も残されているという書店を、じっくり見てくるつもりだ。