詩情あふれる世界
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この小説の魅力のひとつは、詩情あふれる世界が描きこまれている、という点が挙げられる。私が詩情を感じた文章を紹介することで、この作品のレヴューに代えたい。
「高地へ赴く者は母のもとへ赴く」
音を上げる若いキムを尻目に、年老いたラマは、高地をへめぐるごとに、「壮年時代の力を取りもどしていく」。芥川は、小説「河童」に年老いた姿で生まれ、年をふるごとに若返っていく河童を登場させた。伊藤一郎氏は、この河童には、母胎回帰のイメージが漂う、と指摘した。ところで小説「河童」の舞台も、高地だった。芥川は、キプリング「少年キム」を読んでいたのだろうか。……まさか。
ついに二人は世界のなかのもう一つの世界ともいうべきところに足を踏みいれた。(略)丸い草地と見えたものが、そこに行ってみると、はるかなる谷間に流れこむ巨大な大地であった。三日後、それは南に流れる台地の上の薄暗い窪みになってしまっていた。
とらえどころのない世界、近づけば正体がわかると思って近づく。近づいていも、近づいても、正体をとらえられない。ものすごい世界だ。
蛇を見て怯えるキムに向かって、ラマは言う。
これもわしらと同じく輪をめぐっておるのだ。上っておるのか、下っておるのかはわからんが、解脱にはほど遠い。こんな姿になろうとは、よほど業が深いのだろう。
輪廻、魂、といった概念は私に宗教、よりも詩情を感じさせる。
キムは、小さな羊たちが屋根より高いところで草を食むのを観察したり、山脈と山脈のあいだに見える藍色の谷間を見渡しながら魂の自由飛行を楽しんでいた。
世界がわたしに道を用意してくれた。(略)それはわたしが正道を歩んでいたからだ。銅鑼の楽の音のごとく、妙法と響きあっておったからだ。わしはその定めから逸れてしまった。
あの邪教徒の拳がこの傷に当たったのだ。わしは魂ごと揺さぶられた。魂は闇につつまれ、それを乗せた船は、幻の水面に揺られたのだ。
ラマの言葉に詩情があるのは、彼が僧院主であると同時に、六道輪廻図を描いた芸術家でもあるからかもしれない。
マハブブ・アリや、ラーガン、などの魅力的な登場人物、本生譚(ジャータカ)の挿話、結末部でのラマの解脱、など、この作品の魅力はつきないが、その紹介は省略する。それは、読ん――でのお楽しみ。