お互いがお互いを補完する形をとるべきである。そしてその場となっているのが家庭であり、地域であり、社会である。「社会力」とはそのような社会の中でいかにうまく生きることができるかというセンスのように思われます。本書ではこの「社会力」に関して門脇さんと佐高さんの対談という形で、現在大人に求められる事項について語られています。
「大人」という言葉が何を意味するか、人それぞれに違うのですが、本書では 『まわりの手本、まわりから信頼される(一目おかれる)存在』 →本書におけるお二方が同じ寮で生活されたときの寮監さんがまさにその存在。 その方は「規制などで人を縛ることはないが、見るところはしっかりと見ている。またものすごく勉強家であった。」というところでしょうか。 →それでいながらすごく子供っぽいところを残している というところではないでしょうか?
それにしても「17歳の犯罪」にあらわれるように子供あるいは子供の教育への危機がいわれていますが、そのように仕向けたのも大人の責任(と村上龍さんの書にも語られていましたが)であり、『われわれ大人が懸命になさねばならないのは子供たちへの信頼の回復と、社会づくりに積極的に関わる意欲と能力である社会力と、それを核とした「生きる力」を育てること』なのです。高度成長時代においては「頑張れば何とかなる社会」でしたが、それは今は「頑張る気さえしない社会」と言われています(「不平等社会日本」/佐藤俊樹)。少なくとも子供たちが「頑張る気が起きる」ような社会を自分達が見本となって、作っていかなければいけないと思われます。
仕事ばかりしてきて家庭を二の次にしてきた日本人。今はその失われた「市民の三要素」である「家庭」と「地域」をもっと重視すべき時代になってきているのではないでしょうか?