「敬語」教育
★★★★☆
著者の一人、蒲谷氏は、「敬語の指針」を作成した元敬語小委員会副主査で、早稲田大学大学院教授です。
最初の章で、「敬語表現教育 honorific expression education 」について、概説しています。 著者は、「敬語 honorific 」だけでなく、「通常の言葉 ex.行く・言う」や「軽卑語 ex.行きやがる・ほざく」を含めた「待遇表現 social deixis 」という用語を用います。「敬語表現」は、「待遇表現」に含まれます。
敬語表現の重要な枠組みとして、「人間関係」と「場」があります。「人間関係 human relations 」とは、「自分 speaker 」「相手 listener 」「話題の人物 third person 」の関係です。「場 situation 」とは、敬語表現が行われる時間的・空間的位置のことです。「どういう時に、どういうところで、どういう状態で」ということです。
まず、「人間関係」において、「相手レベル」とは、「自分」が「相手」をどう位置づけるかということです。「コトバレベル」とは、「相手レベル」がどういう言葉や表現形式と関連するかということです。
・「相手レベル・+1」は、「自分」が学生であれば、「相手」が教師の場合の位置づけになります。「先生もいらっしゃいますか」という「コトバレベル・+1」(敬語+です・ます)と対応します。
・「相手レベル・0」は、「自分」が学生であれば、「相手」が親しくないクラスメートの位置づけになります。「山田さんも行きますか」という「コトバレベル・0」(通常語+です・ます)と対応します。
・「相手レベル・-1」は、「自分」が学生であれば、「相手」が親しい友人の場合の位置づけになります。「山田も行くの」という「コトバレベル・-1」(通常語のみ)と対応します。
・「相手レベル・+1」は、「相手」が、年配の人、立場が上の人の場合。
・「相手レベル・0」は、「相手」が、同年代でも余り親しくない人や立場が異なる人の場合。
・「相手レベル・-1」は、「相手」が、同年代で親しい人の場合。
相手レベルは、上下関係 vertical relationship だけでなく、親疎関係 familiarity も考慮して、設定します。
「話題の人物レベル」は、「自分」側を「ウチ in-groups 」、「相手」側を「ソト out-groups 」として、設定します。 「ウチ」の「話題の人物」は、「話題の人物・+1」には設定しません。 「ソト」の「話題の人物」は、「話題の人物・-1」には設定しません。
次に、「場」について、「改まり」「くだけ」という観点から、類型化します。
・「場レベル・+1」は、「改まった会議や式典」です。
・「場レベル・0」は、「通常の職場」です。
・「場レベル・-1」は、「居酒屋での懇親会」です。
ちょっと、大学受験の古文の解釈を思い出させます。 個人的にこのような類型化は、嫌いではありません。 しかし、敬語の場合は、著者が書くように、「人間を差別化し、段階化するのは、けしからん」と、思います。 もっとも、これらの例は絶対的なものではなく、「相手」が教師であっても敬語を用いない人もいるし、親しい友人に敬語を用いる人もいます。
著者は、従来の「尊敬」「謙譲」の代わりに「尊重」という用語の使用を提案しています。「必ずしも上下には関係なく、広く用いることができる」と、書いています。 社会での敬語の現状を前提とした上で、なんとか基本的平等に近づけようとする著者の苦心のようにも思えます。しかし、日頃、日本人は、特別尊敬していなくても、上司や顧客に「敬語」を用いることが多いので、当然のことかもしれません。
最後の章で、「敬語表現教育」についての誤解を説明しています。 興味ある誤解を挙げておきます。
誤解・「敬語」は封建的 feudalistic なものであり、身分 rank を固定するものだから使いたくない。
回答 「敬語」は身分差を反映し、封建的だという考え方は、非常に根強い。 かって「敬語」のシステムが「身分」を反映した時代があった。しかし、現代の「敬語」は、相手の立場を「尊重」することが、第一義となっている。「敬語表現」をどのようにしていくかは、日本語話者の意思にかかっている。
誤解・ 社会生活を送る上では、本心を偽ってでも、相手を立て、おべっかを使ったりすることは、必要だ。「敬語」は、必要悪である。
回答 相互に対等な社会人として、相手の立場を「尊重」するから「敬語」を使うのであって、「尊敬」しているから使うのではない。
誤解・「敬語」は日本固有 indigenous の文化 culture であり、大切に継承していくべきものである。
回答 言葉は、社会・時代を反映したものであり、伝統的な用法をそのまま継承していくものではない。
誤解・「敬語」を使わなかったら、失礼になる。
回答 儒教文化圏である中国、韓国の学習者には、「失礼であること」を極度に恐れる人がいる。日本語の「失礼」の概念は、相手の立場、考えを認めないことである。相手に負担がかかることを言うとき、配慮 politeness を示すために「敬語」を用いる。
誤解・ 外国人に「敬語」を教えることは文化の押し付けになる。
回答 「敬語表現」を使った場合の印象、使わなかった場合の印象について教える。「使いたくなければ使わなくてよい。日本人と同じである必要はない」と示すことも大切である。外国人の学習者は、アイデンティティの危機を感じることがある。
英語では、「主体 subject 」は例えば「依頼 request 」「丁寧 politeness 」などの「意図 intention 」を実現するためにイントネーションを変化させます。 日本語は、「待遇表現 social deixis 」が複雑 complicated なので、イントネーションが単調なのかな、と思ったりします。
他の章で、「社会人・学生」「ビジネスパーソン」「初級」に、それぞれ1章を充てて、具体的な「敬語表現教育」について、解説しています。