友人の話を聴くように読むと良いと思います
★★★★★
良くも悪くもフランス的なのだと思います。
詩的であり、かつ私的です。物語であるのだけれども、あくまでもモノローグとして捉える必要があります。つまり、伏線があってどきどきわくわくするようなものではないのです。ただ、ひたすらに不安や悲しみを堪えながら事実を書いていきます。しかし、事実はあまりにも終末的な故に、どこかで寄り道を必要とし、できるだけ最終到達点には行きたくないという気持ちがありありとわかってしまいます。私自身が同年代の娘を持つ親として読んでしまったが故にそうなのかもしれませんが、ひどくつらく、心の底から祈りを捧げたくなる、そんな気持ちになります。
無益なセンチメンタリティ-
★★☆☆☆
大江健三郎に影響された作品として注目されていたものですが、僕は全く評価できません。言葉の選択は美しく、文章もうまいと感じますが、全体が抒情詩のようで、ただ繰り返される子どもの父親としての悲しみの深さと大きさの表現には辟易してしまいます。確かに自分の子どもを失うのはとてつもなく辛いことだとは思いますが、それをノン・フィクションではなく小説に表すならもっと加工しなければならないのではないでしょうか。あまりにむき出しの感情は強すぎて、小説がもつ行間から湧き上がる美しさみたいなものを消してしまうように感じます。
大江の小説を’無益なセンチメンタリティ-’として評価する割にはこの小説にはその無益なセンチメンタリティ-が溢れているように感じます。
自分がまだ子どもをもつような年齢ではないためにそのよさがわからないのかもしれませんが、いまの自分にはこのような評価しか下せません。
ただ、この本により救われる方もきっとおられるような気もします。
無益なセンチメンタリティ-
★★☆☆☆
大江健三郎に影響をうけ書かれたということもあり日本では注目の高かった作品でしたが、自分はあまり評価できませんでした。言葉の選択はうまく、文章も流れるようで美しいのですが、これを小説として評価することはできません。話にほとんど起伏がなく、ただ繰り返される子どもを失う親の悲しみの深さと大きさ…それはたしかに耐え難いものなのではあるかもしれませんが、そこからの再生の過程として小説を書くなら、自分のその悲しみをもっと加工しなければならないと思います。ただただ自分の悲しみをぶつけて書かれるこの小説からは、行間から浮かび上がってくるなにかが全く感じられません。大江の小説に対して’無益なエンチメンタリティー’がないと評価を与える割にはこの小説にはその無益なセンチメンタリティーが溢れているように感じられてなりません。
実際、お子様を失われた方ならもっと共感して読めるものかもしれませんが、現在の僕にはこういう評価しか与えられませんでした。
ただ、この作品により救われる方もきっとおられるのではないか、とも感じます。