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悲しき熱帯〈2〉 (中公クラシックス)

価格: ¥1,628
カテゴリ: 新書
ブランド: 中央公論新社
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構造主義に向かう萌芽が読み取れる ★★★★☆
本書の1,2を通読(といっても関心のないところはとばし読み)した。1の大半は、フィールド調査にでかけるまでの話で、調査といっても大変な作業であり、その準備には金もスタッフも現地雇用スタッフも必要だし、いろいろな部門との調整も必要になる。また事前にそれまでその地域に入った人たちの資料をきちんと調べておくことが大切である、ということも分かる。これらの点が、いわゆる単なる紀行文とは違うことろだろう。

各部族について書いてある1の終わりから2にかけての部分では、価値相対主義の考え方にもとづいた、原住民の観察記録が書かれている。ただ著者は常に考えてしまうタイプの人間であり、まあ当然ながら文化人類学者としては必須の資質ともいえるのだが、そうした考え方が面白い。

そして現地に入って見たもの、経験したものについて、それなりに「構造」に類するものを整理している。半族に関する記述、ボロロ族の社会構造に関する図式的表現、ナンビクワラ族に見られる一夫多妻制と同性愛の許容に対比してトゥピ・カワイブ族の一夫多妻制と一妻多夫制によるバランスの取り方についての技術などには、図式的構造化、概念図式の重要性が見て取れる。

彼の構造主義は、こうした図的概念表現をしたり、その中における変換構造を記述したりすることが出発点になっており、ここではむしろ構造主義というよりは、構造表現アプローチといった方がいいようにも思える。これらのアプローチは、社会学や心理学などでも使われているものであり、取り立てて新規であるとは思えない。実に素朴な実証主義的アプローチといえ、その点では共感できる部分が多い。
読みやすいです。 ★★★★☆

最初は紀行文なので気楽に読めます。

途中で親族の基本構造など他の著作で詳しく記載されているような
インセスト・タブーの構造についてごく簡単に図解で説明されていました。
並行イトコと交叉イトコの問題など、幼心にイトコと結婚していいんだっけ?駄目なんだっけ?なんて
考えた時期がありましたが、親族間の結婚がなぜ問題となるのかという解がすこし分かった気がしました。

民族の優劣という幻想 ★★★★☆
構造主義の祖である著者の代表作。
全体を通し詩的で複雑な語法が多い、
和訳に十二年を要し、おそらく難を極めたと思われる。

半世紀以上前(1954)に書かれているが、その知見は現在でも一定以上の知識人の常識となっているにすぎず、一般的に拡く浸透してるわけではない。

ブラジル奥地の野蛮人と私たちの文化では、
どちらもその世界観は複雑で、合理的で、
どちらが進歩しているとか、優れているというような区分け自体が、
自らの文化での基準でしかなく、
意味がないのである。

そして、私たちは自分に影響を与えた文化の上でしか考察することが出来ない。
それは、言語を使わず論理的に考えるのに似て難しい。

半世紀以上経つが、この構造を超えた思想は生まれていないように思われる。(ポスト構造主義の不在)
また、世界の一般常識は未だに民族の優劣という幻想から解かれていない。
さまざまな顔を持つ名著 ★★★★★
半年ほど前の一時期、構造主義の本をラカンとかフーコーとか、あれこれひっくり返してたのだが、仕事上の殺人的なスケジュールにここのところとんとご無沙汰であった。
しかし先日、帰宅の途中の本屋で、生誕100年フェアとしてレヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」の新装版を売っていたので買い込む。
僕は学生時代に講談社学術文庫の訳で、「悲しき南回帰線」で読んだのだが、今回は中公クラシックのものを再読することになった。

通勤途上で久しぶりに読むこの名著の文章の美しさはなんともいえない。
この書の持つ魅力は、構造主義という思想の力はもちろんあるが、それ以上にレヴィ=ストロースと言う人の文学的的資質がもっともよく現れたことにこそある。

ナチスの弾圧下、ユダヤ人の天才児がブラジルに行く過程を記した「紀行文学」でもあるし、変幻自在に過去と現在を交錯させる「思索ノート」でもあるし、様々な障害を乗り越えてわが道を行く人物のある種の「私小説」でもあるし、構造人類学の風変わりな「学術論文」でもある。
何と形容していいのかわからない独特の魅力的な世界がこの一冊の本にはある。
「知」の偉大なる軌跡に触れる ★★★★★
本書を読み終えた後に自分は、これほどまでに「知」の喜びに浸れる著作はそう遭遇できないのではないかと素直に思えた。南米その他へ著者が文化人類学者として実地調査した記録をもとに、人のつながり、生活と風習の成り立ち、社会の構造を検分し思索し、時に文学的な言葉使いを織り合わせながらつづられる文章は、知の宝庫として読み継がれていくだろう。

旅に出る前から著者は、幾つもの疑問や矛盾に直面し向かい合い、その中で尽きせぬ苦悩や時には自分自身への憤りといった様々な感情を素直に吐露している。そういった中で、アクシデントに遭遇したり結果が伴わなくとも、ひとりの人間として研究者として、現地人との対話や共同生活によって、疑問と答えを重ねながら、人間と文化の関係を深く追求していく著者の知の懐の広さと行動力には圧倒される。そして、自分もどこか同じ場所を旅して、場面に向かい合っているような雰囲気に飲み込まれてしまった。文化や文明を築き上げてきた人の偉大さと逆にあっさりと消え去っていくところの描写は、どこか胸深く響いてくるものがある。それは人類の歴史が続く限り止むことはないにしても。

最後に、旅から15年後にようやく旅を正面から振り返り文章にとりかかることができたという100歳になった著者もさることながら、翻訳者であり、著者とも親しい間柄という川田順造氏にも同時に深く感謝をしたいと思う。