時代を見透した分析力
★★★★★
昭和42年(1967年)に執筆された4つの論文が載っています。今から40年ほど前に書かれたものですが、古さを感じさせません。あの時代に55年体制の歪みを見透し、理論的に述べていた、その分析力は驚きです。本書には時代を貫く視点があると思います。
たとえば、当時の新聞についてその影響力を論じ、メディアの権力化を示唆しています。今日のテレビ、インターネットによる世論形成の危うさを警告したものと思えます。
吉田茂を知るためには貴重な書
★★★★★
高坂正堯氏の出世作であり、吉田茂の評価を変えた作品。基本的に吉田茂の政策に対して肯定的な評価を加えており、現在の吉田の評価を基礎づけた作品です。また、吉田がどのような方法で政治に対する考え方を学んだか、また、偉大な政治家の条件とはなにかなど示唆に富みます。戦後政治をしるためには読んでおきたい一冊です。
示唆に富む。
★★★★☆
当時一般的だった吉田茂への否定的評価を一変させる契機となった表題作「宰相 吉田茂論」のほか、岸信夫、池田勇人を吉田茂と対比して論じた「吉田茂以降」、保革対立の最中で対話の必要性と可能性を論じた「妥協的諸提案」を収録。最後の「偉大さの条件」は吉田茂への追悼として書かれたもので、論旨は表題作とほぼ同じ。逆接を多用する独特の文体はやや読みにくいが、随所に散りばめられた鋭い洞察は、現在の政治を考える上でも示唆に富む。
戦後日本復興と成長の政治
★★★★☆
本書では外交の職人、親英米派、「臣茂」としての吉田茂のことだけでなく、吉田以降の1960年代半ばまでの日本の首相(鳩山、岸、池田)の政治や課題についても書かれている。今では一般的となっている、商人的な国際政治観をはじめとする吉田茂の特徴付けは著者に負うところが大きい。吉田茂が借款は国家間の関係を永続させるために必要と考えていたことや、彼が「外交と金融は信用を基礎とするという点において性質を同じくする」という言葉を好んだと書かれていることが興味深かった。
著者は、吉田茂を単に賞賛するのでなく、彼の現実的でエリート主義的な政治が国民の独立心と政治への国民参加という面で負債を残すことになったとも述べる。また、高度経済成長に伴う都市化等の社会変動により様々な問題が投げかけられる中、国民にある程度犠牲を強いることも含めて要請・説得できる政治家が求められるようになったことも指摘され、開かれた形で言葉(議論)が流通することの重要性を説く。古典を引用し、戦後日本政治史について物語のように平易に書かれているので、とても読み易い。また、日本の近代化が第二級の人物によって作られた第一級の閉ざされた組織を中心に進められた等の歴史観に裏打ちされた洞察が各所に散りばめられている。
韓国の経済発展等、その後の歴史が本書の内容を追い越した部分はあるものの、全体的に、半世紀近くを隔てた現在においてもあまり古い本を読んでいるという気がしない。今の自民党や民主党の上層部も本書に登場する政治家の息子や孫や親戚だったりするように、改めて政界では有力な家が再生産していることを認識し、今でも似たような課題があるという気がする。政治家同士や選挙人と被選挙人との間の貸し借りが世代を超えて連鎖して、世襲した方が仲間内を動かし易いのかもしれないが、時の国際情勢に適した国家経営者のキャリアパスは考えた方が良いとも思った。
わかりやすい言葉
★★★★★
戦前戦後の日本史を客観的に見るということは、なかなかできない。現代史の宿命かもしれない。
しかし高坂の吉田茂論は、一定の観念によってものを見るのではなく、
そのときそのときの国際情勢をベースに、できることできないことをかなり客観的に踏まえたうえで、
明快な判断を加えている。
吉田茂を肯定的にみながらも、とうぜんながら留保をつける。吉田の限界もまた明快に指摘する。
いまでも全然古くない高坂正堯は、すごいと思う。