天正十年六月十五日には安土城天主は消失しているのでは?
★★★☆☆
この(中)は、秀吉が明智光秀、柴田勝家、そして織田家を蹴落とし、家康を臣従させ、大坂城を築いて関白となり、九州を平定するまでの物語。秀吉の天下人にならんがためのなりふりかまわぬ行動と、どんなに明るく振舞っても消えることのない心の闇を描く。一つは子供に恵まれないこと。子作りに必死の秀吉が滑稽ですらある。もう一つの闇は、(上)や「信長の棺」を読んだ人にはわかることだが、未知の人にとっての読んでのお楽しみとしておこう。
ところで、本書では山崎の合戦の後、六月十五日に秀吉が安土城の天主に入って、部屋や調度品が自分のものとなることを確信する場面がある。そして清洲会議の後で、安土城の大部分が炎上・消失したとしている。しかし、私の知る限り、少なくとも安土城の天主は十五日に消失しているはずだ。私は一次資料を調べた訳ではないが織田信長と本能寺の変―戦国最大の謎光秀諜反の真相に迫る!は十五日未明、逆説の日本史(11)戦国乱世編 朝鮮出兵と秀吉の謎では十四日に消失したと書いてある。そうであれば、本書の十五日の光景はあり得ないはず。また、本能寺の変―光秀の野望と勝算は十五日に消失したとするから、十五日早朝の光景が仮にあったとしても、消失は清洲会議よりずっと早い。異説があるとしても、遅くとも十五日には消失したとするのが多数説と思われる現状では、なぜ消失時期がもっと遅いと判断したのか、わき道にそれてもいいから説明してほしかった。折角光秀の最後を感慨深く描写する等、読ませる筆力はあるのに、いくら小説とはいえ、史実を曲げているとしたら問題だ。些細なことかもしれないが、どうも著者の物語の組み立ては無理が多いと私は感じており、この安土城消失時期がその一例だ。