センセーショナルな冒頭の後、カラスを中心とした登場人物のまわりから、古いコークのポスターから漂ってくる雰囲気そのまんまの情景が、細かい情景描写により匂い立つほど鮮明に目の前に浮かんでくる。私はそれほど音楽に造詣深くないのだが、そんな私でも数人は聞いたことのある名前が出てくるほど、本作には結構な数のミュージシャン達の名が登場する。耳から時代を彷彿とさせる彼らの名は、読み手によっては非常に効果的な舞台装置となるだろう。
上述のように、見事に時代を切り取ってきて描き出されたアメリカ。しかし正直、味噌汁で育った私には、その正真正銘のバタ臭さ故、最初の方はのめりこんで読み進んでいくことが出来なかった。
ところが 「パナヨティ」 と、ステファノスがコックに声をかける箇所から、一気に物語に引きずり込まれてしまう。バタ臭さなんてなんのその。だってそこからこの話、俄然面白くなるのだ。ここまで複線としてあったストーリーが、この「パナヨティ」(ピート・カラスのギリシャ名)という台詞を契機に絡み始めるのだから。
転がりゆく物語、そして迎える「俺たちの日」。
・・・『映画観てたみたいな感覚』これが、読み終えた直後の感想だ。娯楽作品として、まさに申し分ない読み物だった。
最後の6章で、あれ?なんかこの話、続編があっても全然不思議じゃない終わり方だなと思ったら、本書を皮切りとする3部作となっている、と、あとがきに記されていた。だから☆の数は、現在はひとまず☆4つとしておくが、本書に連なる2冊を読んで、また改めて評価しなおしたいと思う。
ペレケーノス作品の特徴は、「三人称多視点」で描かれること。
まるでタランティーノの映画のように、同じ時間軸の中で、何のつながりもない人々が別々に描かれていき、最後にはそれらのストーリーがひとつに集まって、最高にスリリングなエンディングへと突入します。
ひとりひとりのキャラクターや、街角の感じがとてもうまく描かれています。
本作の主人公であるピート・カラスは、次作の主人公ディミトリ・カラスの父親であり、またその他の人物も後の作品でも顔を出したりと、この4部作はつながりをもったワシントン年代記になっています。そのあたりもとても楽しめますよ。
哀しくも強く生きている男たちの物!語をぜひ堪能してください。おすすめですよ。