日本では死について率直に語ることはまだまだタブーのように見られています。
私も昨年祖父を亡くしましたが、亡くなるその日までお葬式の話や
その後の話などを前もってすることはありませんでした。
死は別れではなく旅立ち。エルマおばあさんは最後の瞬間までエルマおばあさんでした。
残されるもののことを考え、自分の死期を知ったその日から旅立つ準備を始めます。
家族の歴史を本にすること、葬式でなくメモリアルパーティーにすること、
なきがらは火葬し家の前の海に撒いてほしいこと。
自分らしく旅立てるように、残された家族の負担が減るように。
実際、愛する人を亡くした時、葬儀のことなどをあれこれ考えるのは辛いものです。
おばあさんは自分の旅立つ日をこっそり決めるなど、楽しげに着々と準備をします。
それを悲しく思うのはおばあさんではなく、まわりの残される人でした。
しかし、おばあさんがしっかりと意思を家族に伝え、お互いに大切に思いあい、向き合い、
互いに死を受け入れあって準備をともにすることで
おばあさんも家族も穏やかに人生の最後を迎えることができたのです。
愛する人を亡くしたとき人が泣くのは自分のためなのだそうです。
愛する人が人生をまっとうし旅立つ準備ができ、旅立とうとしているとき、
私たちがしなくてはならないのは無理やりの延命でも嘆くことでもなく、
愛する人がきちんと旅立てるように見守り、手伝ってあげること。
いい人生だったねと言ってもらえるようにそのひとらしさを尊重してあげることだと思います。
読み終わるまでにたくさん泣きましたが悲しい涙ではなく、あったかい涙でした。