男のロマンって、きっとこんな感じ。
★★★★★
誰にも乗りこなせない野生の名馬に乗って、好きなときに好きなように駆け、良い女が居れば誰にも気兼ねせずに(叔父の妻でも、言葉が通じなくても)、好きなときに好きなように愛する。過去は振り返らず、今をのびのびと生きる。
義理の叔父の妻、おまつとの奔放な恋や、朝鮮に乗り込んでの大冒険、伽耶姫との恋。同じ数寄者としてともに風雅・書物を楽しむ上杉の執政直江兼続や、二人の偉大な父を持ちながら情熱を燻らせる栄光ある孤児・結城秀康との友情。息をつかせない小気味良い文体で、一気に読めてしまいます。次々にやって来るエピソードが本当に生き生きとして面白く、読み終わるのが残念なほどでした。
かの有名な(濃ゆい)少年漫画「花の慶次雲のかなたに」の原作とのことですが、漫画(というか劇画)よりずっと爽やかな読後感です。少年誌に載っていた漫画版と違い、濃厚な濡れ場がありますが、そんなにいやらしくなく、女性にも好感が持てるのではないかと思いました。
前田慶次郎
★★★★☆
傾奇者の名をほしいままに風流な生活と独自の考えによる行動がおもしろい。朝鮮見学部分にかなりのウェイトを置いている。最初から最後まで名馬松風が作品に重要なわき役になっているところが面白い。近衛龍春氏の「前田慶次郎」と比較しても本作品の方が読みごたえはある。歴史小説279作品目の感想。2010/08/21
侍とは?
★★★★★
私はまだ二十代の若輩者なのですが、最近のメディアでいう『サムライ』の意味に非常に不満を持っています。 昨今使われている『サムライ』が江戸時代、権力者が安定統治を目的に儒教道徳や朱子学を用いて下剋上を最大悪とし、権力者に従順な犬にしようとかたちづくられた『サムライ』をあたかも日本人の美学の様に礼賛している事にです。 察するに現代において権力の頂点に君臨している長老達の幼少時代の『葉隠』『山中鹿介』の『サムライ』像が基本にあるかも知れません。 少々卑屈になりましたが、この小説の前田慶次郎はそんな『サムライ』とは圧倒的に違います。私は作中の慶次郎こそ『侍』たれと、信じています。 最近の朝青龍問題で協会側の人間がしきりに『サムライ』という単語を用い、彼を批判していますが、朝青龍にあとちょっとの教養が備わっていれば協会側の『サムライ』がいかに自分に都合の良い単語になっているか露呈しただろうに…… 隆慶一郎氏の作品には、真の侍が生きてます。 「見知らぬ海へ」「死ぬことと見つけたり」は侍の意味を考えるため合わせて読んで頂きたい作品です。 (どちらも未完、早世を悼みます)
惚れ申した。
★★★★★
何度読んだのか数え切れない。
これからも繰り返し繰り返し読むであろう。
最後の一行を読み終わった途端に、また最初の一行に戻って読み始める…
そんなことをしたくなる小説だ。
果たして前田慶次郎が本当にこういう人物であったのか、真相は判らないが、
この「一夢庵風流記」の中に生きている前田慶次郎には「惚れ申した!」。
漫画の原作である。漫画のほうが登場人物、エピソード、ともに多い。
しかし、私は、この原作のほうに軍配を上げる。
著者がシナリオライターだったせいなのだろう、
目の前にその情景が鮮やかに浮かび上がる素晴らしい文章である。
画が無くとも、慶次郎は生き生きとして傾いている。
〜雲の彼方に〜外伝!?
★★★★☆
一気に読んでしまいました。。
この作品は花の慶次〜雲の彼方に〜の原作で知られていますが、大筋では同じものの、
マンガの方は原先生オリジナルの登場人物やストーリーが展開されていたのだと判り、
改めて先生の脚色の素晴らしさを実感しました。
本題ですが、風流記は、マンガを先に読んだ人(殆どだと思いますが)からすると、
花の慶次〜外伝〜という感じがすると思います。
単純にマンガを字だけにした、と思っていたら大間違い。
マンガを読み切って、あぁもっと慶次の逸話に触れたい!という人にはまさにオススメです。
原先生の絵の印象が強いだけに、風流記を読んでいても情景がイメージしやすく、
小説嫌いの人にも是非一度読んで欲しい一冊です。