主な話題は、日本の古くからの習俗と、日本的体制や権力のありかたについての考察の二つ。
習俗については、日本人の名前、顔、旅、お金、服飾、言葉、門構えなど、それぞれのルーツに触れていて、大変興味深い。「西郷隆盛」は実はお父さんの名前で、本人は「西郷隆永」がほんとうの名前なんだそうだ。また宮本武蔵の頃は一文なしでも旅が続けられたとか。なかなかおもしろい。
日本的権力についての考察では、アジアの中にあって、日本だけが専制君主をもたず、権力(=幕府)と権威(=朝廷)の二重構造による体制を維持してきた、という。そして、この権力の分散構造こそが、明治維新以降の資本主義の導入を容易にし、日本発展の原動力となった、と喝破する。
資本主義は、汚職のない清廉な権力の中でしか、機能しない。資本主義⇒拝金主義⇒道徳秩序の荒廃、というのは実は単なるイメージでしかなく、ほんとうは全く逆であって、道徳をやかましくいう国(=儒教国)ほど官吏の汚職、腐敗が激しい。こういう新たなものの見方を提供してくれることが、歴史の面白さであり、司馬の面白さだと思う。
30年以上前の評論ではあるが、全く古びていない。このことは逆に、この30年間、日本はまったく停滞していたことをも意味する。
「戦後、日本には有史以来の大変化が訪れた。それは飢えからの開放である。このため、飢餓や貧困が支えていた原理が無用になった。生きる目的をどこに求めたらいいか、わからなくなってしまった。腹いっぱいになったために、我々は逆に悲惨な課題を背負ってしまったのである。とりあえず自殺者が増えるだろう。」
という。これが1970年の「司馬遼太郎が考えたこと」である。35年後、21世紀の今日をみるに、なにも変わっていないことに暗然たる思いを抱かざるをえない。