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歴史と視点―私の雑記帖 (新潮文庫)

価格: ¥515
カテゴリ: 文庫
ブランド: 新潮社
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珠玉の歴史エッセー集、読むべし。 ★★★★★
司馬遼太郎氏のやや長めの歴史エッセー10篇を収めた一書。どの篇も興趣に富んだ考察に溢れており、大いに堪能しかつ勉強になった。特に、氏の戦車兵体験に基づいて記された最初の4篇は、いわゆる司馬史観の形成過程を考える上でも不可欠の文献であろう。

「常識ではとても理解できないような精神のもちぬしが、国中が冷静を欠いた状態にあるときには出てくるものである。また権力の実際的な中枢にいる者の頭も変になり、変にならねばその要職につくことができない。また要職につけばいっそう変にならねば部内の人気が得られないということで、あらゆる権力の分子たちの幻想が歴史の過熱期の熱板の上で相乗に相乗をかさねてゆくため、・・・ 冷静な後世の常識ではとうてい信じがたいことが多いのである」(42頁)。
「ソ連軍は戦車でやってきたし、列車でもやってきた。その機関車の正面に素裸にした若い日本婦人を縛りつけて驀進してきた」(95頁)。
「宗麟の好奇心のつよさは、好色というかたちになっても現われている。かれは美女を得るためにその役目の者を上方に常駐させておいたといわれているし、臼杵のかれの城館にはそういう婦人が多数住んでいた」(107〜108頁)。
「かれ(=山県有朋)の出世は秀吉の出世物語に匹敵するほどであろう」(226頁)。
「徳川将軍家というのは、始祖の家康を神とした。・・・ 東照は天照と対をなすもので、その東照大権現である神の子孫が将軍職を継ぐというところも天皇家に似せていた」(242頁)。

その他、個人的には、見廻組の佐々木唯(只)三郎が「会津藩士の出」であった事実(144頁)や長州藩陪臣白井小助の逸話(185頁以下)などが大層興味深かった。それにしても、本書の原著が出版された1974年の段階で「無数の明治人がつくったこの国の社会はどうやら終末に近づいているようでもあり、その縊り手はおそらく不動産業者的射幸エネルギーというものではないか」(178頁)と喝破した氏の慧眼の確かさには、敬服の他ない。
一番好きな司馬作品 ★★★★★
第2次世界大戦史に興味を持つ自分としては、数ある司馬作品の中でも一番おもしろかった作品でした。
特に知られざる日本の戦車についてこれほど正しく描かれた書物はないでしょう。技術的に全然だめな記述も思想的な偏りではなく事実に基づくものであり、痛快この上ありません。現実として日本の戦車はアメリカ軍のM4に全く歯が立たなかったわけですが、そのM4はドイツ軍やソ連軍の戦車には大苦戦を強いられたわけで、世界水準ではいかに日本の戦車はだめだったかという証左になります。三式の装甲の材質の話はちょっと疑問がなくはなりませんが、電動砲塔がうまく動かなかったこと、馬力不足で起動がとても難しかったことなどは、この本で初めて明らかにされたことだと思います。おそらくこれでは実戦の投入されてもあまり役に立たなかったでしょう。
ところが主に技術者系の書き物によると空冷ディーゼルはどうとか、1930年代の設計にしてはとか負け惜しみのオンパレードですが、兵器というのは実戦で役に立ったかどうか以外に全く価値はないものですから、この本は非常に価値がありますね。
あと当時の軍人の雰囲気も面白かったですが、一番興味をひかれたのは変な話ですが、軍隊の日常生活の話でした。意味もないのに装甲板を磨いたり、必要もないのに尾栓をを分解したり。さぼり方って今も昔も変わってないんだな思いました、こういう話って、なかなか伝わらないから貴重ですね。
それから他に収録されている歴史のこぼれ話の数々もとても面白かったです。特に「豊後の尼御前」の話。こんな女性が戦国時代に居たなんて!驚きました。
戦争をにべもなく ★★★★★
第一章「大正生まれの故老」から続く四つの章が面白い。ここで、氏は太平洋戦争(日中戦争)での自分の体験を語り、太平洋戦争は「戦争はいやですね」という哲学的なニュアンスで総括されるものではなく、単純に集団的政治的発狂にもたらされたものに過ぎない、とにべもありません。

戦車のつくり(日本の戦車は格好はよかったがまるで使い物にはなかったらしいです)、戦車を用いる戦略(戦車をひとくくりにしてしまう戦略。そりゃそうです、戦車ったって色々ある)を経験者として司馬氏は引き合いに出し(氏は戦車部隊出身)、軍部のうたった美学・形容詞・フィクション・誇大な漢語フレーズ・政治的幻想、諸々を徹底的に攻撃します。そもそも日本という地理的環境を持った国に戦争なんてできない、という単純な事実を知らしめることこそが大事、という氏の結論は醒めて爽快なまでに明快です。戦争を取り巻く書物・議論は多かれど、事実、本質はこうこうところにあるのかもしれません。

あと、歴史好きには戦国期・九州の女傑「豊後の尼御前」、山県有朋など明治の大立者も恐れた「長州人の山の神」は興味深く、その他、権力を高める装飾・形式にいかに腐心した人たちがいたか「権力の神聖装飾」(ここで氏はそういう手法にあまり熱心でなかった秀吉を評価しているようにも思える)、同時代感覚を共有することの難しさを語った「人間が神になる話」などに歴史家としての氏の見方の一端がうかがえます。
副題の「私の雑記帖」が内容を良く示している。夏休みの読書に良いかも。 ★★★★★
司馬遼太郎の文章だから、自然に入っていけるでしょう。夏休みに入ってぼんやり時間の合間にぱらぱらと読むのが楽しい。でも、内容は、さすが博覧強記の著者の「雑記帖」。歴史のこぼれ話がいっぱい入っていて楽しい。時代も現代から中世まで幅広い。最初のほうは、自身の戦争体験も照らして、日本帝国軍隊の不可思議さと悲惨さを描く。自国の過去を告発するのではなく、もっと人間的な視点で真剣に書いているだけに、いろいろ胸を打つ。ここ数年で外資の比率が高くなり、日本社会も大いに変わったが、つい先ごろまでは帝国陸軍並の思考はあったような気がして、とても他人事ではないと思う。お勧めは「黒鍬者」で、麻布中学高校の創始者江原素六の話が面白かった。でも著者は関西人だけに、やはり意識としては遠いのか、麻布の話が後半やっと顔を出し、変な終わり方をしている。ほかは、「見廻組」が面白く、著者は余り好きではないようだが、私は、この作品を読んで、仕事人としては、見廻組は、新撰組より確かでインパクトのある仕事をしているような気がした。「豊後の尼御前」は初耳の話で、びっくりしたし、面白かった。なにか中世ヨーロッパ的な感じさえして、戦国時代の知らない面が出ていて楽しかった。
司馬遼太郎ファン必読本 ★★★☆☆
司馬遼太郎の作品をより深く理解したい愛読者には必読本、かつ司馬自身の人となりにも興味のあるファンにとっても生々しい記述が並ぶのでやはり必読本でしょう、

特に冒頭の戦車兵時代の記述に関してはまさに昨今はやりの言葉である「トラウマ」というに相応しい痛々しい文章が並び、司馬に批判的立場をとる評者としても同情を禁じえない、対して後半の司馬得意の歴史雑記のとぼけた味わいはエッセイとしてとても楽しめるものとなっている、

戦車兵時代の文章から明瞭すぎるほどに浮かび上がるのは司馬遼太郎AKA福田定一個人がどれほど「軍人」に不向きな青年であったかである、評者はここで考えてしまう、司馬のような兵隊にまったく不向きの人物でさえ「甲種合格」し一歩兵でなく戦車兵として使わざるを得なかった大東亜戦争末期の帝国陸軍の不幸を、そしてその不幸を招いた大きな責任と欠陥が陸軍自身に存在したことを、

評者のように大東亜戦争を支持する立場のものには目を疑うような記述が毎ページごとのように現れるのだが、いくつか引用してみる、

司馬は書く、「私はつい不覚にも大正時代にうまれてしまった」と、

大雑把な見方をすれば大東亜戦争は明治生まれが指揮し大正生まれが戦ったわけであり、戦闘の中心世代であった大正生まれに属することを司馬は誇れないらしい、堂々と国運を背負って戦った多くの同世代たちに単に「後方」でうろうろしていただけの司馬のようなものがこんな発言をして恥ずかしくないのだろうかと評者は考えるが、逆に評者自身は不覚にも昭和に、それも昭和の戦後に生まれてしまった、とはよく頭をよぎる、

続いて司馬は書く、「日本という、、、国は戦争をやろうとしてもできっこないのだという平凡な認識を冷静に国民常識としてひろめてゆくほうが大事なように思えるのだが、どうだろうか」、これが本当に日露戦争を題材に大長編小説を書いた作家と同一人物が書いたものなのだろうか???