それは、著者が「反故」と形容する、一五年戦争下の国家に没入しきった蘇峰自身の言動に大きな原因があるが、蘇峰ははじめからそのようなずぶずぶの国家主義に染まっていたわけではない。その思想の遍歴をたどると、近代日本のナショナリズムの軌跡が浮かび上がってくる。本書は、徳富蘇峰というかつての青年思想家がいかなる転回を遂げたかという点に焦点を絞りつつ、近代日本そのもののありようをも視野に入れて論じている。日本政治思想史の碩学の手になる好著である。
前者から後者への移行が必然だったか否かは、私にはわかりません。それでも、本書に示されている移行の過程は極めて自然です。そして、追い越す対象であった西洋から「文明」を摂取せざるをえなかった日本の悲愴さと、その悲しさを体現した大言論人「徳富蘇峰」を描ききっていると思います。