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徳富蘇峰―日本ナショナリズムの軌跡 (中公新書)

価格: ¥819
カテゴリ: 新書
ブランド: 中央公論新社
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超国家主義は必然か? ★★★★☆
本署には2つのテーマがある。「言論人・徳富蘇峰」と「徳富蘇峰を通してみる日本ナショナリズム史」だ。

徳富はジャーナリストとして優れた能力を持ってはいたが、むしろそのあまりにも現実主義的な対応は政治家向きだったようだ。後に彼が政府のプロパガンダを務めるのも必然だろう。最もこの優れた現実対応力が70年にも及ぶ言論活動を支え、戦後のいち早い復活の原動力になったのだろう。

ナショナリズム論としては親西洋からアジア主義、または平民主義から超国家主義へ移る過程を連続して書かれていることが興味深い。この流れは徳富と国民の失望と現実対応の連続の上に成り立っている。最後に狂ったようにプロパガンダに大本営発表に追従する徳富も国民とダブって見える。
明治期から戦後までの、愛国を巡る社会心理 ★★★★★
 何年か前に徳富蘇峰の初期の著作を読む機会があって、体制順応者という世評とは全く違う印象を受けた。同じ頃に山路愛山の著作も読み、その明快で真摯な主張には共感を覚えたが、徳富蘇峰は一つの謎として心に残っていた。この新書を読んで、何か彼の足跡を理解できる補助線の一つを思い浮かべることが出来た。

 明治期の立身出世へ向かう風潮の中で志を立て、既に言論界で地位を占めていた福沢諭吉や旧幕臣の論客たちの中に「新日本の青年」を引っさげて割って入り、雑誌「国民の友」、新聞「国民新聞」でジャーナリストとして確固たる地位を占めていく様子には進取の気概が溢れ、新しい時代を告げる者特有の自信が伝わってくる。この登場期から最晩年まで、蘇峰には「愛国」の思いが全身に滾っている。初期には愛すればこその政府批判が、中期には愛国ゆえの革新勢力結集への参画、その挫折が齎した保守主義への接近、日露戦争後の政府への接近、イギリス・アメリカへの屈折した親愛の情、ロシアへの敵意、朝鮮・中国への領土的野心、文章報国活動、全ては愛国の情がさせたことなのだが、その軌跡は一人の人間が取った立場とは思えないほどの多様さだ。この行程を著者は「便宜主義」のなしたこととしているが、そうだとすると、徳富蘇峰一人が取った立場の変遷は、愛国の志が進んでいった典型の一つと読むことも出来る。

 事実、本書はそういった読み方をすればとても興味深いのだろう。明治期から戦後までの、「愛国」の視点から読み取れる社会心理が、数多く収録されている。日本人の人種的膨張論といった、今では理解しがたい論議もあるが、きっと当時は強い切迫感をもって考えられていたに違いない。2000年代の意識からは容易に理解しがたいことについて知り、自分なりに考えてみるのには絶好の1冊でもあると思う。その作業は、今現在について考える際にも、理解されているようで理解されていないことを気づかせてくれるきっかけになるかもしれない。
日本知識人の「便宜主義」の起源 ★★★★☆
 著者は明治日本から昭和日本への国家としての変貌と、蘇峰の生涯を重ね合わせることで、近代日本のナショナリズムの軌跡をたどった。確かにたどったのだが、何故あの輝かしき「青春の明治」が、1945年の日本の廃墟に至ってしまったのかは、少なくとも私にはこの書からその理由を詳らかにできなかった。
 おそらく、文中にある(p.71)、陸羯南の「原理主義」と蘇峰の「便宜主義(オポチュニズム)」の対照性の指摘が、一つの鍵になると憶測するのだが、著者はその点を敷衍して論じてはいない。蘇峰の残した山のような著書に目を通し、それらと生涯を対応させるという作業だけでも、莫大な知的エネルギーの投入を免れないことは理解できる。
 どう変わったかは了解した。ただ、私が知りたかったのはその先であった。残念な書である。
日本ナショナリズムの体現者 ★★★★★
徳富蘇峰は、名前こそ比較的有名なものの、福沢諭吉や中江兆民・吉野作造・石橋湛山に比べれば、日本政治思想研究において顧みられることが少ない人物である。

それは、著者が「反故」と形容する、一五年戦争下の国家に没入しきった蘇峰自身の言動に大きな原因があるが、蘇峰ははじめからそのようなずぶずぶの国家主義に染まっていたわけではない。その思想の遍歴をたどると、近代日本のナショナリズムの軌跡が浮かび上がってくる。本書は、徳富蘇峰というかつての青年思想家がいかなる転回を遂げたかという点に焦点を絞りつつ、近代日本そのもののありようをも視野に入れて論じている。日本政治思想史の碩学の手になる好著である。

日本のナショナリズムの体現者 ★★★★☆
 この本の主役徳富蘇峰に限らず明治期に生まれた思想家・言論人には、論壇デビュー当初は洋学を基盤にした啓蒙主義的な言説を語り、明治後半に至って帝国主義・国粋主義的な思想に転向するといったケースが少なくありません。従来の教科書では、こうした変化を思想的偏狭化・堕落と捉える傾向にありました。しかし、本書においては幕末以来の明治ナショナリズムと、後の昭和ナショナリズムとの内的な連関を丹念に探求し、前者=善・後者=悪という単純な二元論の克服を目指しています。

 前者から後者への移行が必然だったか否かは、私にはわかりません。それでも、本書に示されている移行の過程は極めて自然です。そして、追い越す対象であった西洋から「文明」を摂取せざるをえなかった日本の悲愴さと、その悲しさを体現した大言論人「徳富蘇峰」を描ききっていると思います。