‘いま’をとらえた意欲作
★★★★★
表題作は、2009年度野間文芸三賞受賞作のひとつ。衝撃的な書き出しからセンスの高さが伺えた。秋葉原での事件から通り魔殺人が頻発し、「誰でもよかった」という供述が報道されてきた。閉塞感漂ういまを表現する試みに挑んだ意欲作である。
のどの奥にひりつく不快感・・
★★★★☆
公衆トイレに押し込められた孤独と恐怖の中で見たピンクの人影と謎の呪文が印象的な「ひかりのあしおと」、押し入れの中にこもって広告から切り抜いた男の視線のなかで耽る自慰行為が印象的な表題作。他者と自分との間の距離感を正確に認識し、折り合いをつけていくことが思春期のテーマであるとすれば、まさに稀代の思春期小説である(そしていずれの主人公も全力で間違った方向へ行こうとする)。
決して長編でもなく複雑な構成でもないのに読み終わった後の徒労感、ひりつくような不快感がとれないのは本作が第一級であることの証明である。
裏返しの特別意識
★★★★☆
自閉症傾向を強めていく少女の自己否定感が、粘つくような確かさで描かれている。母も同傾向を持っているように読み取れる。
小中時代にシカトされるのは、卵が先か鶏が先か。家庭に真の安らぎがないとほのめかされてもいるが、それも言い訳にはしない。そういったところに自己正当化の理由を求めず、自らを化け物と認識するところが新しい。だが、そうやって裏返しにせよ自分が特別な存在であると思うのは、実際そうなのかもしれないと思わされる。
池田小事件以来、自分内部だけの理由で殺人を犯す者達の心理の一つを言い当てているような気がする。…私は人を殺しても良い。私は特別な存在だからだ。あなた達がそれを認めないならどうぞ死刑にしてください。…
私たちはこの挑戦に、冷笑や無視ではなく答えなくてはならないのだろう。