宝塚ファンの「自己満足」には、最高!!
★★★★★
玉岡は「タカラヅカは戦争に加担するという罪を犯したか。答えは、誰の目にも『否』であるのは明らかなように思われる。・・むしろ戦争の被害者として、彼女たちがひたすら耐えてきた」と書くが、これは歴史的事実に頬かむりした感情論に過ぎぬ。近衛内閣の商工大臣にして戦時体制の建設者の一人である小林一三に率いられ、昭和5年10月の「海軍行進曲」以来、「翼の決戦」(19年2月)などの時代迎合・プロパガンダ作品を数多く上演した宝塚歌劇団をどうして戦争の被害者などと診ることができようか。独裁体制が一定期間支配力を有する為には国民の関与が不可欠であり、故に、一般国民はファシズム体制の被害者であると同時に加担者でもある。「国策劇にはすさまじい内容のものが並ぶが、それでも、タカラヅカが率先して戦争を美化し、殺し合いを奨励したというような、戦争責任を問われるべき罪の度合いは薄い。あくまでその訴えるところは、銃後で懸命に生きようという、戦争の裏舞台でのけなげな働きを鼓舞したにすぎない」(182頁)と述べるが、戦時下の困窮状況だけを以て、国民のファシズム体制への加担・関与が免責されるというのは、体制への国民の積極的加担の事実を隠蔽しその責任を覆い隠すものに他ならぬ。また、「殺し合いを奨励」することだけが戦争責任の全てではない。「戦争の裏舞台でのけなげな働きを鼓舞した」こと自体、戦争協力でありその責を免れない。生徒たちは「できるせいいっぱいのことをして」いたであろうが、と言って被害者だとは言えぬ。本書は、歴史の事実評価に、ファンの心理的願望を持ち込み、両者を混交させるという、歴史を描く者としては最も忌避すべき手法で書かれたものである。宝塚歌劇団の過去への自己弁護と宝塚ファンの自己陶酔には最適な本であり、最大限の皮肉をこめて、星5つ!