一衣帯水の古代日本と南朝鮮
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京都で鄭貴文・鄭詔文兄弟が発行し続けている「日本のなかの朝鮮文化」の八回までの座談会―「日本歴史の朝鮮観」、「日本民族と『帰化人』」、「古代の日本と朝鮮」、「印刷文化のはじまり」、「土器・陶磁器工人の渡来」、「神宮と神社」、「仏教文化の伝来」、「『万葉集』と古代歌謡」、「神話と歴史」の内容が収載されている。多面的に古代南朝鮮と日本の弥生文化の類似性が検証され、日本の統一国家成立前には、日本と南朝鮮は一衣帯水の文化圏であることが明らかにされる。日本に来た朝鮮人を「帰化人」という捉え方ではなく、「渡来人」として特に日本人と差別しないことを共通認識とされている。むしろ、かれらはむしろ日本の支配階級に円滑に組み入れられ、日本文化の進展に寄与している。地名などでも朝鮮起源とするものが多く、名称の中の「唐(から)」の文字は、日本が隋・唐文化に直接に接触できるようになる前は「韓(から)」の文字がつけられていたことらしい。
また、日本の仏像と非常に似た仏像が朝鮮にあり、単に文化を導入したのではなく、製作技術をもった人間が多数渡来して、日本の仏像ならびにそれにまつわる文化をもたらしたと考えるのが自然であることが納得させられる。
近代から現代まで、日本人と韓国人は互いにさげすみあっているところがあるが、六世紀以前の朝鮮の人々には日本は暖かな気候の、争いのない希望の開拓地とみて移動してきただけのように思われる。一衣帯水の一つの国といった印象を読後感として受けた。