この本は、深焼きコーヒーが好きな人の本です。
★☆☆☆☆
この本には3人の巨匠が出てきますが、いずれも自家焙煎喫茶店の草分け的存在の人たちだと思えます。
その代表格とも言える関口氏は、珈琲に関する書籍も出している著名人のようですが、彼はジャーマン・ローストが最良と考えているようです。
読み進んで理解できたのですが、筆者とその支持者たちはコーヒーの酸味が苦手のようで、深焼きの苦味が強い珈琲が好きなようです。
珈琲は緑茶や紅茶と違って酸味のある飲み物です。
その酸味が苦手な人たちが真のコーヒー好きと言えるものなのか、私にはおおいに疑問の残るところです。
本の中にありますが、珈琲は焙煎で味が決まり、産地銘柄はさほど大切な要素ではないように書かれています。
また、酸味の強いモカでさえ、深く焙煎したなら酸味は感じないと、至極もっともなことが書かれてもいます。
珈琲は深く焙煎するにつれ、カフェインを含めた成分が炭化して消えてしまいます。
別な言い方をすると、焙煎が深くなるほど産地銘柄に関係なく、ただ苦いだけの珈琲になってゆきます。
極端に深く焼いたのがアイスコーヒー用の豆ですが、喫茶店やレストランから焙煎業者にオーダーが行く場合に、単にアイスコーヒーの豆とだけ注文をし、誰もがそのアイスコーヒーに使われている原材料に無関心です。
また珈琲問屋(生豆販売店)にアイスコーヒー用と言えば、もっとも安い(悪く言えばクズ豆)豆を出されます。
これは深く焙煎したなら、どんな豆でも同じような味になるからです。
中焼きのコーヒーと深焼きのコーヒーの関係は、緑茶とほうじ茶の関係に似ています。
ほうじ茶の原料も、選別した後に残ったクズ茶を使うか、もしくは古く酸化して商品にならなくなったものを使います。
また、お茶の銘柄や産地にこだわっても、誰もがほうじ茶の産地銘柄を問いません。
緑茶で味わうから産地やグレードにこだわるのであり、その産出地の個性を味わうことができます。
同じように珈琲も中焼きで味わうから、それぞれの産地によるバラエティに富んだ味が味わえるのです。
本の中にも書いてありますが、珈琲は焙煎で味が決まり、良く焙煎できたものは抽出方法に影響されないとあります。
これもそのはずで、緑茶だから淹れ方で味が違い、下手に淹れると渋みが出ますが、ほうじ茶は誰がどのように淹れても一定の味が出ます。
私はほうじ茶専門に飲んでいる人から、お茶の講釈を聞きたくはないですし、深焼き珈琲を飲んでいる人から、珈琲の講釈を聞きたいとは思いません。
コーヒー職人達の人生
★★★★☆
珈琲業界で著名な三人を中心に珈琲作りに執念を燃やす人達の秘話は楽しかったです。頑固職人ばかりで、名人達の言葉から珈琲の奥深さを知ることができます。もっと美味しい珈琲が飲みたいと思っている方は、本書を読めば更に美味しい珈琲がどこかに存在することが分かると思います。名人達が何十年も追求する位、奥深いのですから。また、本書に出てくる喫茶店に行ったことがある方は、より興味深く読むことが出来ると思います。昔、三店の珈琲を飲んだ時、それぞれ味が非常に異なると感じましたが、何故そう感じたのか本書を読んでやっと理解できました。それにしても、喫茶店「もか」の店主は本当に個性的で、この方だけでも面白い自伝が一冊書けそうです。
たかがコーヒーされどコーヒー
★★★★★
毎日コーヒーを飲む私にとって、この本は、とても興味深く読むことができました。とくにブルマンがなぜ高値なのか?と、コーヒーに人生を捧げた「もか」店主、標交紀さんに関することが、とても心に残りました。
よみごたえ十分
★★★★☆
元新聞記者らしく綿密な取材に基づいたうえに、コーヒーへの情熱があふれた意欲作です。文章も簡潔で、しかも知らず知らず物知りになれます。例えば・・
西部劇に出てくるコーヒーはトルココーヒー。
アメリカンコーヒーの意外な由来。
深煎り用の豆の急減と世界経済の関係。
日本のコーヒーは今や世界一。
コーヒーに命を捧げた4人の男たちと、その周りの女たちのドラマも面白い。初めは「このペースで文庫260ページも続くのか」と危惧するほど、新聞の「ひと」欄のノリだったのに、ぐいぐい引き込まれる筆力に驚きます。
自家焙煎+ネルドリップ(本書の男たちのこだわり)のコーヒー片手にぜひ一読を。
コーヒーへの愛情とこだわり
★★★★☆
本書に登場してくる人々はまさにコーヒーに憑かれているという表現がぴったりの人々ばかりである。
ちょっとの差で全ての味わいが変わってしまうコーヒーのために一生をささげる。本当に美味しいコーヒーを飲むために。
本書で登場してきた人々が淹れたコーヒーを是非一度は味わってみたい。