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物語 数学の歴史―正しさへの挑戦 (中公新書)

価格: ¥924
カテゴリ: 新書
ブランド: 中央公論新社
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数学、その考えかたの進化と変遷 ★★★★★
数学思想史にちかいかたちで描かれた、数学の歴史です。
本書では、各時代の数学にあらわれた考え方の枠組みの変遷を追うことで、一般の数学史とは異なる視点を提供しています。

数学の萌芽は、割り切れない数 (割算) から発生した、という話から始まり、数や図形に関する原理 (定理) の発見、考え方の正しさを確信させる説明スタイル (証明) の確立、証明をよりシンプルにするため生まれた問題の単純化 (抽象化) 、そういった流れが、西洋数学の源 (みなもと) として描かれていきます。

証明や抽象化の話までくると、ほとんど数学の基礎はできあがっているという感じですが、それらすべてが、すでに古代ギリシャで完成していたということには、あらためて驚かされます。
とくに、ユークリッドの 「原論」 に見られるよう、小さな定理の集まりが互いに整合性をもち、ひとつの大きな全体像を作りあげるという構成は、のちの西洋数学にも大きな影響をあたえた、古代ギリシャ数学の真骨頂であったと著者は指摘します。
ただし、ギリシャ人は計算を苦手としていたようで、計算技術に関しては、むしろ古代中国の方が優れていたとのこと。

古代ギリシャの文献が、アラビア経由で西洋に伝わる 「12世紀ルネッサンス」 により、ギリシャの 「証明の手法」 と、アラビア代数学の 「記号をあつかう技術」 とを手に入れた西洋数学は、やがて独自の発展を歩み始めます。

その後の微分の発見から、オイラーやガウスの解析学の発展、非ユークリッド幾何学の発見あたりまでは、一般のわたしたちも何となく話についていくことができるでしょう。
しかし、代数学からでてきた対称性 (群論) の話あたりからは、次第に靄 (もや) が立ちこめてくるようになります。

話が一気に分かりにくくなるのは、リーマンの登場以降です。
非ユークリッド幾何学あたりまでは、なんとなく頭の中に見えていた図形が、リーマンの登場により、たちまち抽象という霞 (かすみ) の彼方へ消え去ってしまうようなところがあるからです。
著者はリーマンの業績を、 「数学全体のパラダイムを深層的レベルから刷新するほどの影響力」 をもたらしたと評価しています。
逆に見れば、そういったパラダイムの刷新が、さらに一般人から数学を遠ざけたとも言えそうです。

本書のお終いの方では、もはや空間や図形は 「点の集合 + 秩序構造」 という抽象的な議論に置き換わり、そして最終的には、幾何学から 「点」 は消失し 「構造」 だけが残ります。

本書がおもしろかったので、同じ著者の 『数学する精神』 も購入しました。
理解するには少しは数学のセンスが必要 ★★★★☆
 ボイヤーの「数学の歴史」とかE.T.ベルの「数学をつくった人びと」などを読んで挫折しました。書かれていることが難しすぎたようです。
 この本では、難しいことは書名を挙げてそちらを参照するように勧められています。なので僕としては少しばかり読みやすいです。数学の知識はあるとより分かりやすいと思います。各章の関連も「読む」ことができると思います。数式などが少ないとはいえ、ガロアやアーベルの考えたことを理解するには、高卒程度の数学の直観力がないと難しいかもしれません。
 特徴としては、数式などは極力使わず、たとえなどで理解できるように書かれていることと、中国や日本の数学が割と多く紹介されていることだと思います。日本の数学でかなり進んでいた分野があることを改めて理解できました。西洋の数学では直観と理屈の苦悩があったことも知ることができました。
 全体としては、読みやすい数学の読み物としてよくできていると思います。
「見ること」と「計算すること」の統合 ★★★★☆
前著「数学する精神」では、数の「量」と「記号」の表裏一体がテーマでしたが、
本書では「見ること」と「計算すること」の統合という切り口で数学史をたどります。
「見ること」=幾何的、「計算すること」=代数的ということですが、
双方を往還しながら、らせん状に数学が発展していく様はドラマチックで、
人間の認識・感性の枠組みの更新、深化の歴史を思想史的に概観でき、
面白く読ませていただきました。

「見ること」と「計算すること」の革命的統合をなしたというリーマンの業績
及びそれ以降の世界は、門外漢の私には、遥かに霞んで見えませんが、
おぼろげながら、その思想史的なロードマップのようなものが見えたような気がしました。