フラーに関する情報は非常に多い。本書はデザイン、建築、数学、科学、そして自然についてと、シンプルかつ包括的にまとめて書かれている。読みやすいが、そこから考えさせられることは多い。
自分の置かれた境遇や取り巻く社会情勢を嘆く人はいつの世でも存在する。バックミンスター・フラーも2度の落第、娘の死、社長を勤めていた企業の倒産を経験し、自称「落伍者」あるいは「消耗品」となってしまう。しかし、彼は身を投げるか、思考するのかのどちらかから思考を選んだ。
フラーはすべての生物が本能的にデザインされた役割を果たすかぎり、宇宙はすべての面倒を見ている、ということに気づく。魚が海に遊泳料を支払う必要がないように、人間も成功するようにデザインされているはずだと。自然には人間の生活に必要なものが十分用意されており、豊かに暮らす人は争いや破壊活動には関心を示さないだろうと。フラーは、確かな情報と効率の優れたデザインこそが、地球の資源を明らかにし、公平に分配し、すべての人間によりよい暮らしをもたらす、と判断した。
フラーは建築物の資材の削減や軽量化のためには、単位体積あたりの表面積が最も小さい幾何学構造の利用と多階層化が必要だという結論に至る。それが作業効率、熱効率、安全性、メンテナンス、リサイクルなどに同時にメリットをもたらす。「自然は常に最も経済的な方法で物事を成し遂げる」。フラーのジオデシック構造物の日本での例は、今では役目を終えて取り外されてしまったが、富士山頂レーダードームを思い浮かべればイメージがつかめるだろう。
デザイナーの伝記なのだが、おもしろく、哲学的でもあり、読めば自然について考えたり、勇気づけられたりすることが多いはずだ。
フラーはこうした基礎的幾何学を発展させ、ジオデシック・ドーム(三角形を組み合わせたドーム)などの独創的な建物をつぎつぎと設計・試作していった。
たとえばフラーの設計は、モントリオール万国博の米国パビリオンで採用されたし、キャンプ用品メーカー・ノースフェイスのテントとして商品化もされている。けれど、理想の高いフラーはこんなもので満足していたはずがない。彼はいまよりもはるかにシナジェティックに稼働できるシステムを社会全般にわたって考えていた。この本にはそれが書かれている。
なぜ、フラーの建築は浸透しないのか。街じゅうの住宅が箱形なのに、自分の家だけドーム形にするのはさすがに勇気がいるだろう。三角形を基本とする建築は、公共物には役立っているものの(トラス橋など)、まだ収穫逓減の域を出ていない。
けれども「そうはいっていられない」状況のもとでは、フラーの設計は積極的に採用されてきた。第二次世界大戦中、低コストかつ短時間で建てられるフラーのドームは重宝したという。また将来、人が月や火星などに移り住むとき、フラー設計の建築物が建てられていくのを想像するのは簡単だ。
戦争や宇宙開発といった非日常的状況でなくても、いまの地球環境を考えるとフラーの建築物はより使われていくようになるのかも。フラーがこの世を去ってから20年。後継者たちによって思想は受け継がれ、フラーの都市計画はいまも進行中だという。
実はこの本を読んだ後、手塚治虫の「ブッダ」をこれまた一気に読んでしまったのですが、ブッダとフラー、この二人のコンセプトは同じ所を見つめていたのでは?そんな気がします。
フラーのあみ出した様々なシステムは、こんがらがった私達の日常世界を柔らかく、かつ強烈に解きほぐします。
思想を物質化して具現化(しかも生活と近いところで)してしまうところがフラーのたまらないところです。
アタマが冷静になります。
私が思うにこの本は非常に現代的な実用書です。