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許されざる者 上

価格: ¥1,785
カテゴリ: 単行本
ブランド: 毎日新聞社
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読み易く、面白かった ★★★★☆
今年に入って、『闇の奥』『翔べ麒麟』、そして本作と著者の作品を続けて読んだが、本作がもっとも読み易く、面白かった。
要因としては、日露戦争を背景としているところ、主人公がいわゆる“不倫の恋”におちるところ、明治終り近くの世相を巧みに組み込んだところだろう。
簡単に言えば、読み易い『戦争と平和』とも言える。森宮(新宮)を舞台にした庶民の暮らしだけではなく、戦場の戦闘シーン、脚気に関する軍隊内での論争など多様な場面が描かれている。
しかし、本書を読んで、恋愛小説は“不倫”を題材にすると魅力が出しやすいことが改めてよく分かった。

本来の読み方ではないが、登場人物のモデルを探すのも面白い。あまり気づかれない人物を一人だけ。熊野病院の佐藤さんというお医者さん。佐藤春夫のお父さんだろう。
槇は満州でなにを見るのか? ★★★★★
 れいによって、とんちかんなことを書く。

 この小説の書き出しは、こうだ。

あの日のことを忘れることはできない。私たちは港にいた。

 「私たち」? この「私」は、いったい、誰なのだろうか? 謎は続く、「ふたつの虹」、「二重の虹」、これは、いったい、なんなんだ?
 「虹」が「橋」のたとえだとすれば、ふたつの「橋」に思い至る。一つは、戦地で爆破した鉄橋、もう一つは、将来建設するかもしれない「橋」。ネガティヴな橋と、ポジティヴな橋。かつては機能した橋と、いつかは機能するかもしれない橋。過去と未来。……わからない。
 まだある。登場人物の名前に、気のせいか、「中」が入っている場合が多い。「中谷」に「中森」、「堂本中」に「中子」に「浜中」……。別に、なんの意味もないのかもしれないのだが。これも、気のせいかもしれないが、「中」の字が頻出しているような気がする。

人は建物の中に入ってゆき、建物は自然の中に置かれる。

時計のある部屋はどの邸でも建物の中心部にある。

 挿絵の影響で、〈時〉の扱われ方に注意がいった。時計が介在しない、時。大きい時計に、小さい時計(懐中時計)。じつに、多彩な登場ぶりだ。

槇と永野夫人は舞い落ちる花びらのゆくえを追っていた。一枚が、宙に迷って、ふっと静止するような瞬間がある。そのとき、ふたりは互いの瞳をみつめあった。

そのとき、不思議なことが起きた。槇と鳥子が、全く同時にほとんど無意識のうちにそれぞれの懐中時計を取り出すと、しばらくじっと文字盤に見入った。

 〈時〉は、相手が誰であるかによって、違う流れ方をするのだろう。

 日傘山の子供が、よかった。下巻でも、活躍するだろうか?

 おどろき、を感じた文章を紹介する。

僕は地図上の淡路島をハサミで切り抜いて琵琶湖に嵌め込んでみました。ぴったり嵌りましたよ。

動いているのはこちらなのに、向こうから手招きしながら接近してくるように思える。

 こういう文章にであうと、あるいは、と夢想してしまう。琵琶湖はもと陸地だった。しかし、淡路島に恋焦がれ、淡路島の姿を慕った陸地は、自らの体を陥没させ、その身に水をたたえたのではないか。さあ、この身に飛び込んできなさい、と言わんばかりに。
 辻原氏の野心を、私は垣間見た気がする。

浄土とは、じつは、澄み切った目でみられたこの世のことなのです

思いっきり遠くへ出かけてみる。そして、世界に対する認識をあらたにして戻ってくる。すると展望がひらける。

 辻原氏は、あるいは、私たち読者が小説の世界「の中に入ってゆ」くこと=「遠くへ出かけ」させることによって、「世界に対する認識をあらたにし」、「澄み切った目で」「浄土」を拝ませようと企んだのかもしれない。

 槇が満州行きを決意するところで、上巻は終わった。槇は満州でなにを見るのだろう?
老獪なる小説的たくらみ ★★★★☆
 日露戦争当時のざわめく世相を背景に、先進思想に富むドクトル槙と旧藩主永野家当主忠庸夫人との許されざる恋の行方を主軸に、和歌山の地方都市「森宮」を舞台に繰り広げられる様々な事件を、事実とフィクションを上手く綴り合わせて描く大河小説。
 日露戦争を含む当時の歴史的事件とその当事者たちと、和歌山県は新宮町の地方風俗とそこに生きるフィクション上の登場人物たちとが、見事に融合されてリアリスティックで魅力ある小説世界が立ち上がっている。それは、何処までが史実で、何処からがフィクションか定めがたいほど見事な技だ。例えば、ジャック・ロンドンとの大連での再会や森鴎外や田山花袋との旅順での邂逅など、それこそワクワクするほど興味深い場面だ。
 また、重要な小道具であるチェホフの『ロルネット』が、遠く黒海の港町ヤルタから探検隊の一員の手を通じて、最後は永野婦人の手に届くことにより、小説的世界と現実との間の奇跡的な橋渡しとなっている。それはある意味、著者の老獪な小説的企みが見事に利いた実例と言えよう。
 新聞小説である点、書き下ろしとは異なりストーリーの流れにやや勢いを欠く憾みもあるが、雄大な大河を思わせる長編小説として、誰が読んでも楽しめる作品としてお奨めしたい。
 そんなたゆたう流れの中にあって、三本杉遊郭を廻るエピソードが、水しぶきを上げる早瀬を思わせる筆致の冴えを見せており、長編小説にとっての「箸休め」ならぬ「読み休め」として、いいアクセントになっていると感じた(H21.10.24)。
日露戦争を背景にした大作 ★★★★★
日露戦争を背景に明治後期に生きる日本人を描いたボリューム感たっぷりの大作である。主人公の医師「ドクトル槇」は大逆事件で処刑された大石誠之助がモデルとなっており、幸徳秋水など実在の人物も多数登場するが、本書はあくまでフィクションであり歴史的事実とは異なる展開となっていく。

著者がNHKの週間ブックレビューに登場した際に、「トルストイの戦争と平和のような戦争を背景とした作品を書きたいと思っていた」という趣旨の発言があったと記憶しているが、読んでみるとその通りで、多数の登場人物が日露戦争に関わり、運命が変転していく様が描かれている。(蛇足だが、主人公の美貌の姪の千春のキャラクタは、戦争と平和のヒロインのナターシャを思わせる気がするのは私だけでしょうか)

読み始めた時には上下で800ページを超えるボリュームに圧倒され、またテーマが重そうなので最後までたどり着けるか危惧したが、登場人物が魅力的で、ドクトル槇と永野夫人の恋愛模様などストーリー自体も抜群に面白いし、更に明治時代の世相や当時のイベントも非常に興味深いので、読み応えはありましたが、一気に読み終えることができた。著者の作品を読むのは短編集の「枯葉の中の青い炎」、長編の「ジャスミン」に続いて3作目ですが、本書は過去読んだ2作を上回る傑作だと思います。
タイトルの意味が・・・ ★★☆☆☆
母親が「感動したのであんたも読みなさい」と勧めてくれたので読みましたが・・・。
明治末期に大逆罪で処刑された熊野・新宮出身の大石誠之助という人物がモデルになっているとのことです。
大石誠之助を知らないアホの私が呼んだ感想です。

歴史を知らない私にとっては主人公の医師、ドクトル槙の人物像がそれほど強く印象付けられることもなく、主人公がかかわる日露戦争、社会主義革命家、宗教家、新宮の町に生きる人々との出来事もそれぞれがあまり結びつかず、盛り上がらないままに読み終えてしまった、というのが正直な感想です。

新宮の殿様で後に戦死する永野少佐の妻とドクトル槙との道ならぬ恋から「許されざる者」なのでしょうか、当時のエセ革命家たちが「許されざる者」なのでしょうか?

新聞の連載だったからでしょうか、「突然舞台が変わって・・・」というシーンが多いのも特徴ですし、作者独特のかたかな呼称、シエスタ、トンガ、トーマス、ドミトリー、ソーネチカなど、どちらかと言うと頭に引っかかって読みにくい文章です。

幸徳秋水、森鴎外、田山花袋など歴史上の人物も数多く登場し主人公とかかわりを持つことになりますが、ちょっと「おなかいっぱい」になります。
私にとっては、日露戦争は本当は「かろうじて負けなかった戦争」であったことを認識したのが唯一新鮮でした。

熊野が舞台の小説ではまだ中上健次を超えるものはないようです・・・。