上山安敏は、専門の法社会学や比較法制史以外に『神話と科学』(’84)『フロイトとユング』(’89)と、20世紀の人文-社会科学の太い方針を産み出した古典著作者達を、西欧(特にドイツ)の19世紀末の知識社会に置き直し、どのような社会的要請として、それらの著作を書いたのかを炙り出してきたが、本書はその系譜の研究に連なり、ユダヤ教との関連から、当時の動向を読み直さんとする著作である。
第1章から第3章は、著者がその他の著作でも頻繁に触れてきたニーチェ、フロイト、ウェーバーの、一読して不可解な箇所を、当時の聖書学者ユリウス・ヴェルハウゼンとの関わりでいわば著者の肩越しから眺める作業で、ここまでは既に発表した論文の加筆修正からなる。後半の4章から6章は書き下ろしで、世紀末から1930年代のドイツにおけるユダヤの位置変遷を、ゾンバルト、チェンバレン、ローゼンベルクのベストセラーからあぶりだし、更に以上の変遷をユダヤの側ガイガー、グレーツから解釈する。
その作業は、蓄積があって初めてできるものであり、容易には他の追従を許さず、実際、今回も諸学問間の空白を突いている。
但し、書物としての問題もあって、初出論文の媒体が異なっていたため、特に3章で構成が乱れているし、また初出の事件や人物に解説がなく後で説明される事も多く、これだけの幅を持った学問群史を呈示するのなら、人名索引には生没年をつけ、事項索引もつけた方がよかったであろう(巻末年表をつけるとか)。さもないとこれまで著者の書籍を読んだことのない読者は消化不良になりかねまい。
とはいえ、本書は予告された『ブーバーとショーレム』の姉妹編だ。これまで、いわば多数派のキリスト教・ドイツの著作者側から見ていた風景が、少数派のユダヤ教・ユダヤの側から見直されるようになったことは、著者の研究内でも、大きな転機となり得るであろう。続刊が楽しみだ。