キースのソロ・ピアノ・アルバムの中で、個人的にもっとも心がなごむのがこれだ。76年5月、キースは『ペニェ・モン・クール・ルージュ』というフランスの短編映画の音楽を依頼され、パリのダヴー・スタジオでその録音を行なった。その仕事が早く終わってしまい、さてこれからどうしようかと思案したキース。目の前にはすばらしいグランド・ピアノがあった。時間の余裕もある。それならソロ・ピアノの録音を行なおう、ということでプロデューサーのマンフレート・アイヒャーと意見が一致。そして突発的に本作が録音された。ダヴー・スタジオのすばらしいピアノとキースの出あいがこのアルバムを生んだといっても決して過言ではない。
ここでのキースはほかのソロ・ピアノ作品と違って、ピアノの音色を確かめながらピアノを弾く喜びにひたっている様子が見て取れる。『ソロ・コンサート』や『ケルン・コンサート』のようなドラマティックな展開と違い、終始淡々とした演奏だが、そこにピアニストとしてのキースの素顔が見える。(市川正二)
悠久の時を刻む砂時計
★★★★★
keithの極めてロマンティックで、砂漠の宮殿に誘われ風に吹かれ
て、砂と太陽のむせ返る匂いを一身に浴びる様な具体的なイメージが、
沸き上がる一枚。クリスタルなピアノのの響きに引き込まれて
、身の回りの光景がセピア色に変わって行きます。
しばし、架空の中東の迷宮を散策したくなりました。
人恋しくなり、人影が見えて近づくとサラサラに
なって虚空に消え去る様な幻想を抱きます。昔のNHKの石坂浩二
のナレーションのシルクロードの様です。
ピアノとkeithとeicherと空き時間が生んだ傑作です。
失われた時を求めて。
スタジオ録音による70年代キース・ピアノ・ソロのピュアな音の最高傑作
★★★★★
キース・ジャレットの70年代を代表するピアノ・ソロの作品といえば、どうしてもライヴの大作「ソロ・コンサート」、「ケルン・コンサート」、「サンベア・コンサート」を思い浮かべるが、本作も忘れないで欲しい。76年5月パリのスタジオでの録音で、全体が4曲に分かれ(LP2枚の計4面に対応)、夫々がさらに2または3パートに分かれているが、おそらくスタジオでの即興演奏であり、また曲やパートが変わることで大きく印象が変わることはないので、トータルでまとまりのある1つの大曲として聴ける。そして、全体のトーンは「サンベア・コンサート」に近い印象を受け、しかもキースの大曲に時としてある、ブルースまたはゴスペル調の演奏や難解な現代音楽風演奏が長く続く展開はほとんどないと言ってよく、気にならない。キースのリリカルなピアニズムが大半を支配し、非常に美しい作品だ。録音も極めて良好。本作の中では特に「ステア・ケース」のパート1、「砂どけい」のパート2、「日どけい」のパート1と3、「砂」のパート3が私は大好きだ。ケルン・コンサート・パート1やソロ・コンサートほどのドラマはないかもしれないが、キースのピアノ・ソロの静かな叙情の美を愛する人には、70年代キースのピアノ・ソロの名作としてお薦めの作品です。なお、LP時代のジャケ両面および内側のアートワークも素晴らしいので、以前に発売された紙ジャケ盤を入手することも考えるのがよいでしょう。
頭の中を数多くのピアニストが去来して
★★★★★
1976年5月パリで録音。ディスコグラフィーの順序で言うと『心の瞳』の次、『Hymns Spheres』の前、そしてあの『サンベア・コンサート』の2つ前の作品と言う事になる。スタジオ録音のソロ・ピアノとしては『フェイシング・ユー』の次の作品がこれということになる。
この作品の中でぼくはキースの頭に去来する過去の偉大な作曲家達を感じずにはおられない。多くの印象派の作曲家、たとえばクロード・ドビュッシーやモーリス・ラベル。片や猛烈に走り出そうとするパッセージにはベーラ・バルトーク。感じられるのは不思議なくらいジャズの先達ではなく、多くの近代クラシックの作曲家の影だ。
ライブでないだけにキースの作品の中では閉じられた環境の中でインスパイアされた曲ということになり異色だ。ただおそらくキースはあらゆる状況の中に自らを置き、どう自らがインスパイアされるかを知り!!たかったのではないだろうか。
自らが一種の触媒であり、おのおのの状況の中で、どう化学変化し何が結果として残るか自ら分からない。そういった『天啓』を化学変化させるピアニストだと思う。
最も宣伝されなかったが最も売れ続けているアルバムの一つでもある。
くるくると変転する万華鏡のような11の小品集
★★★★☆
珠玉の宝石の如き名盤『ケルン・コンサート』からおよそ一年半後に録音された、キース・ジャレットの、同じくソロ・ピアノのアルバム。1976年5月、パリのDavout Studioでの録音。
「階段(STAIRCASE)」「砂時計(HOURGLASS)」「日時計(SUNDIAL)」「砂(SAND)」の4部、11の曲から構成されています。付けたタイトルに明確な理由があるようには思われず、『11の組曲で出来たピアノ小品集』といったアルバムでした。
天空から雨が降り注ぎ、見えない手のひらから無数の砂がこぼれ落ちるような「階段」のPart2(6:57)。
水滴が跳ね、はじけ、旋回する感じの「砂時計」のPart2(14:03)。
ぺかぺかと明滅する鉱石を思わせるピアノの響きがした「日時計」のPart1(8:57)。
殊に、透きとおった抒情と静けさを湛えて煌めいていたトラック5、「砂時計」のPart2の音楽に魅せられましたね。
くるくると変転する万華鏡のような趣、と言ってもいいかなあ。
あまりの美しさにくらくらっとなった『ケルン・コンサート』ほどのインパクトはなかったけれど、粒の大きさも種類もさまざまな宝石を集めたら、こんな素敵な小品集が出来上がりました、みたいな一枚。74分27秒。キース・ジャレットの小宇宙。
何という美しさ、激しさ、そして儚(はかな)さか
★★★★☆
LPは2セット買った。1つは保存用、いま1つは聴きまくり用として。のちにCD化されたとき、2枚組5800円という、当時決して安いとはいえなかった値段を、ものともせずに即購入。
今でも繰り返し聴いている。とりわけHourglass Part 2。何という美しさか。キースの即興ピアノソロの中でも、サンベアの京都Part 1、同じくサンベアの東京アンコール、そしてケルンのPart 2cと並んで、私にとっては生涯聞き続けるであろう名演だ。
Sundialも、悲壮感ただようPart 1と、ある種の諦念をも感じさせるPart 3にはさまれて、私が勝手に「神経質なトッカータ風断章」と呼んでいるPart 2の躍動感がたまらない。 他の2曲、StaircaseとSandも佳品。
ただ、1曲1曲が比較的短く、しかもスタジオ録音なので、長尺のライブパフォーマンスの際に聞かれるような…何といえばいいのだろう?「うねり」?「グルーヴ」?…が生じ始める前に演奏が終わってしまうような不全感も否めない。
よって星4つとしたが、それでもここに収められた演奏が、信じがたいほどに美しく、激しく、儚い夢のような響きに満ちていることに変わりはない。個人的には、キースのスタジオ録音における最高傑作だと思っている。