キース・ジャレットはその独特のフォームによる妙技が評価されている一方、それを否定する人もいた。だがこのピアノソロ・アルバムは、そんな人にとっても必携の1枚となるだろう。頑固で強引、天性のコラボレーション能力も素晴らしいが、ジャレットはソロが一番魅力的であるように思われる。彼のピアノソロ・アルバムはたくさんあるが、一番評判なのは6枚組CDの『The Sun Bear Concerts』(元は10枚組のLP)だろう。だが、彼も完璧ではなかった。 彼は演奏がうまくいっていないと思っても、途中でやめることはなく続けただろう。彼は独特、複雑、自意識過剰で、その大げさなところを売り物にしている。しかし、これらを克服した時には、彼のメロディー・センス、美しくすばらしいハーモニー、挑戦的な技術が無類の強さを見せる。このディスクには、それが表れている。Roger Thomas
雲間から降り注ぐ光芒
★★★★★
初期のkeithのsoloに比べると人気はありません。
クラシック、フリー寄りで苦手な方が多いのは判りますが、
keithのsoloでは外せません。この日は始めから天啓が
降りていたんでしょう。全くぶれ、無駄が無い。
余りに神がかるので呻き声も少ない。天空から俯瞰する
様に風に乗って天使の梯子を通過しながら、
乱気流に巻き込まれてフリーになったり、風が凪ぎ穏やかになったり
インプロの展開に無理がありません。
始めは取っ付きにくいですが、何回か聴き込んでいると
流れが自然なので、気に入って下さる方も多いと思います。
keithも理想が最も満足行く形で実現された、と言っていた様です。
高音質盤で聴きたい、それだけの価値のある内容
★★★★☆
キースのソロ・コンサート・ライヴはSHM−CD盤で再発売される等して高音質で鑑賞できるものがいくつもあるが、ウィーン・コンサートの日本盤は97年に発売されたきり。なぜだろう。キースまたはマンフレット・アイヒャーが出来を気に入っていないのかもしれない。しかし、私は素晴らしい内容だと思う。フリーというか、フリー寸前の演奏となる時間帯もあるが、その時間は短く、ケルンやソロ・コンサート好きの人なら本作の壮麗な建築物のような美しさに魅了されるだろう。そして、パート1、2ともにうねる波のようなドラマがある。将来高音質盤が発売されることを期待し、今は評価を星4個としておく。
日常を離れてピアノ・ソロの世界へ
★★★★★
Part1は42分、Part2は26分の91年ピアノ・ソロ。従ってこのアルバムを聴く時には、途中で中断されないように携帯の電源を切り入り口に鍵をかけ、椅子にゆっくり腰掛けて最後まで聞き通すというコンサートに行くような気持ちで望むことにしています。
特にPart1はクラシックを想起させる曲想で始まりながら緩やかに展開を遂げますが、後半で無上甚深の大旋律が炸裂します。Keith のインスピレーション神懸かりの瞬間が見事に演奏に現れ、聴き始めてしまうと42分があっという間です。
一気に聴き通してこそ得られる感動という点で、「Vienna Concert」は他の Keith のソロ作品と違った独特の密度を感じられます。CDジャケットのアートな手触りも特別。
パリよりも美しい
★★★★★
ややクラシック的な演奏の本作。絶賛されている「パリ・コンサート」よりも私は感動しましたし、美しい演奏だと思います。
そして80年代以降、やたらうるさくなったキースの声も、ここではあまり聞こえず、リラックスしているのかな?と思ってしまいます。
どなたかのレビューに書かれてありましたが、「ステア・ケイス」との共通点があるというのは私も感じました。パリ好きな人、是非聴いてみてください。
古典派から新ウイーン学派へ、そしてフリーへ
★★★★☆
1991年7月ウイーン国立歌劇場(シェターカペツレ)でのソロ・ライブ。
出だしはまるでモーツアルトのソナタの様だが、展開はまさにキースのピアニズムになっていく。『魔笛』や『フィガロの結婚』といった優れたモーツアルトのオペラが上演された歴史あるその場所で展開されるキースの世界は純に芸術的だ。
ただ段々にラ・スカラの様にフリーになっていく。僕にはその変遷はまるで古典派のモーツアルトから新ウィーン学派のシェーンベルクへのウィーンの歴史を聴いている様でもある。
これがウィーンのキースの『天啓』だなと思えた。