インターネットデパート - 取扱い商品数1000万点以上の通販サイト。送料無料商品も多数あります。

ハイデガー『存在と時間』の構築 (岩波現代文庫―学術)

価格: ¥1,071
カテゴリ: 文庫
ブランド: 岩波書店
Amazon.co.jpで確認
木田元の最高傑作であり、ハイデガー入門としても最適 ★★★★★
ハイデガー「存在と時間」の未刊部分を、その後の論文等を踏まえながら再構築してみようという謎解き風の体裁を取りながら、ハイデガー存在論の目指したところ(&挫折したところ→後期思想への転換につながる)を明らかにしている名著です。大変面白く、哲学史家としての木田元の面目躍如たるものがあります。

特に「第3章『存在と時間』第二部の再構築」の最後では、ハイデガーが目指していたものが、民族レベルでの存在了解の転換による文化形成の仕方の変革、つまり「存在の革命」であったことが明らかにされます(まるで埴谷雄高!)。素朴にナチに期待してしまった理由がここにあります。

木田元のハイデガー論は何冊か読みましたが、失礼ながら、実は本書以外にピンとくるものはありませんでした(ついでに言うと、フッサール現象学論もピンときませんでした。笑)。本書こそが必読に値します。一見マニア向けの内容のようですが、ハイデガー入門としても最適で、初学者にもお薦めする次第です。

蛇足ですが、本書以外にハイデガー入門としてお薦めできるものを、以下にあげておきます。
・新井恵雄「人と思想35 ハイデッガー」(清水書院)
・J.コリンズ「FOR BIGINNERS ハイデガー」(現代書館)
・古東哲明「ハイデガー=存在神秘の哲学」(講談社現代新書)
・北川東子「シリーズ・哲学のエッセンス ハイデガー 存在の謎について考える」(NHK出版)
第一部第三篇はどうして書かれなかったのか ★★★★☆
 木田元によれば、1927年に公刊されたハイデガーの『存在と時間』、これは当初考えられていた構想の三分の一しか書かれていないという。そこには、周知のごとく「現存在」、つまり人間の在り方が分析されている。未刊の部分は、存在論の歴史をカント、デカルト、古代ギリシア哲学へと遡っていく予定だった。その折り返し点に構想されていたのが、ハイデガーがちょうどそこから筆を折った『存在と時間』第一部第三篇「時間と存在」だった。ハイデガーはここから書けなくなった。―それはなぜか、についての謎解きが本書である。

 なお、この筆折りとハイデガーの「転回」が深く関わっている。

  カントの定立作用とハイデガーの存在了解、主観性とのかかわりにおいて、なにがどう違うのかという問いを抱くようになったわたしのような者には、まこと に興味深い一冊となった。ハイデガー自身が、『ヒューマニズム書簡』のなかで、次のように言っていると本書で引用されている。

 「『存在と時間』 において<企投>と呼ばれていたものが、表象しつつ定立することだと解されるならば、企投は主観性のしわざだと受けとられ、<存在了解>が<世界内存在> の<実在論的分析>の領界内でもっぱら考えられうるようには、つまり存在の明るみへの脱自的な関係としては考えられないであろう。主観性を放棄するこうした別の思索を遂行しなおし、それを真に遂行するということは、たしかに『存在と時間』の公刊に際して第一部の第三篇「時間と存在」がとどめおかれたということによって困難になった。……ここで全体が転回するのである。問題の第三篇がとどめおかれたのは、思索がこの転回を思うように十分なかたちで語ることが できず、こうして形而上学の用語の助けでは切りぬけらなかったからである。」(22−23頁)
おのれを時間化する働きによって現在・過去・未来という時間の次元が開かれ、世界というシンボル体系が構築される ★★★★★
『存在と時間』が完成されていたらどのような本になっていたのか、というのを木田先生が想像して再構成したといいますか、1927年にマ−ルブルク大学で行なった講義『現象学の根本問題』を元に、バラバラになったパーツを組み直してみました、という感じの本。

 実存哲学だと思われている『存在と時間』は、実は『存在論史』のような哲学史の本で、西洋哲学そのものである形而上学的思考の限界を書きたかったのではないかみたいな感じで、ひっかかりまくっていた「現存在」とか「世界内存在」とか「存在了解」という概念が生物学的な知見から来ているということを木田先生何回も書いてくれたおかげで、なんとか引き寄せて理解できるようになっただけでもありがたいですが、この本では「時間性」に関しても木田先生流の理解ができるようになったと思います。例えば、《時間性は本来的にも生起する。第一章でも見たように、おのれの本来的な全体存在可能を気にかける現存在にあっては、将来はおのれの死への「先駆的覚悟性」として、既存おのれの事実的被投性の反復として、そして現在はおのれの置かれた歴史的状況を豁然と直視する「瞬間」として生起する。ここでは、将来・既存・現在という脱自態が緊密に連関しあい、将来が圧倒的な優位に立つ》みたいなところ。
哲学史家ハイデガー ★★★★★
ハイデガーを哲学者という以上に何世紀に一人という哲学史家と評価する筆者は、未完にして失敗に終わった「存在と時間」に対し西洋哲学史全般の分析を共有しながら壮大な見取り図から未完に終わった部分の再構築を試みる。
あまりに精密かつ専門的なので理解できないところも多いが、かつてアリストテレスが再構築されて哲学史の礎となったであろうプロセスを再現するような興奮がある。
哲学史家としてのハイデガー ★★★★★
木田元は本書のほかにも,『ハイデガーの思想』『ハイデガー』と合わせて3冊のハイデガーを主題的に扱った著作を出しているが,いずれも,『存在と時間』の書かれなかった部分に焦点を当てている.本書はその集大成といったところか.まあ,他の本と記述がまるまるかぶっている箇所もあるが,それは仕方がないことだろう.ハイデガー解説本は巷間にあふれているが,類書が何かと「神秘,神秘」と騒ぎ立てる中,彼のクールな解説は個人的には好きである.それは,私も,実存哲学者としてのハイデガーや後期のなぞめいたハイデガーよりも,大胆な哲学史家としてのハイデガーにより惹かれるからであろう.