対談の意図は何か
★★★☆☆
訳について触れられているレビューが既に何件かあるが、たしかに読みにくい部分がある。
眼が一度読んだところへ戻ってしまう。
決して読みやすいとはいえないような言い回しが訳に用いられているように思う。
また、対談についてかみ合っていないのでは、という意見もあるが、オルハン・パムクの対談相手である作家・佐藤亜紀という人物が、どういう作品を書いてきた人物なのか説明がない。
私は佐藤氏を知らないので、なぜこの人が対談相手なのかよくわからなかったし、おそらくオルハン・パムク自身も、佐藤氏をよく知らず作品に眼を通したこともないのではないだろうか。
だから、両者の話がかみ合わないのでは、と感じた。
佐藤氏の、オルハン・パムクの作品に対する関心は感じるのだが、その逆になると佐藤氏に対してのよそよそしさのようなものが、空気として感じられてしまうのである。
対談の意図は何だったのか。
文が少ない本なので、付け足しに無理やり企画したのでは、などと勘ぐってしまった。
オルハン・パムク自身の家庭に関する言葉などは、彼のバックボーンを読み取ることができ、作品に触れる際に参考になると思う。
珠玉の講演
★★★★★
先のレビュ−から訳についての疑問が揚げられていました。私も最初ちょっと読みずらいかなと思いつつ読みました。全て読み終わって納得いかないのでもう一度読み返してみました。活字も大きく短時間で読め、実に素晴らしい読後感を味わいました。
以下いくつか印象に残った言葉をあげます。
「文学とは、自分の物語を他の人たちの物語のように、他の人たちの物語を自分の物語のように語ることができる才能なのです。」
「いい人生の尺度が幸せであるとはどこから引き出したのか。人々や新聞や誰もが、一番大事なことが、人生の尺度が、幸せであるかのように振舞っていました。このことだけですら、その反対が正しいかどうか調べるに値する問題になるのではないか?」
「この世の全てをその中に一番よくとり入れる本とは、わたしにいわせれば、それは疑いもなく小説です。人類の最大の能力である想像力−他者を理解すつ能力−を、何世紀も経て、いまだに小説が最もよく表現します。」
涙無しには読めない感動の逸話
★★★★★
下のレビューにもありますが、父とのエピソードは涙無しには読めませんでした。
ある意味で、イスタンブールの富裕層だからこそ許された家庭環境ではありますが、
本の世界に埋没することの快楽と、本に囲まれた空間の豊饒さを共有できる読者には、
ノーベル賞作家といえども、本を愛することにおいて、ごく普通の本読みと
かわらないところがあるのだな、と思わされます。
その点で「ノーベル賞作家」というレッテルに隠されがちな、作家の愛すべき人間的な
姿を伝えてくれる本ですね。
訳に関しては、ぎこちないところもありましたが、朝日新聞の書評で「訳も美しい」と
評されていたように、わたしは悪いとは思いませんでした。
父との関係という、ウェットになる嫌いのあるテーマを扱うのに、ほどよく硬質な
文ではないでしょうか。
同じ著者の『イスタンブール』も出たばかりなので、いま期待しながら読んでいるところ
ですが、こちらは主として母親との関係の方が軸になっていますので、この本と合わせて
読むことで、より面白さが増してきそうです。
訳が読みにくい
★★☆☆☆
すでに訳がひどいというレビューが載っているが、まったく同感です。買ってからがっかりしないために、どのような文体で訳されているのかは知っておいたほうがいいと思う。こういう翻訳文体に慣れていないととても読みにくい。
次の引用にはこの短いなかに「そして」が五ヶ所も出てくる。
【わたしに対しておこされた訴訟、そしてその後のわたしの身に起こった政治的状況は、わたしを実際以上に、そして思った以上に、より「政治的」で「深刻」で「責任ある」人間にしました。遺憾な状況、そしてそれよりもさらに遺憾な精神状態とでも、今は微笑みながら言いましょう。そのせいで、小説を書くために必要な、子どもっぽい純粋さを見出せなかったのです・・。それは納得がいくことであり、そしてあまり驚きはしませんでした。事態が次第に経過していけば、一時的に失っていた「無責任な」子どもっぼさの遊びと揶揄の感覚が、いずれ戻るであろうと、そしてこの三年間書いてきた小説を完成するであろうと考えていました。しかし、それでも毎朝、わたしが暮している街イスタンブールの一千万人の人々が目を覚ますずっと前に机に座り、夜の最後のしじまの中で、中途で終わっていた小説に再び入ろうと努めました。そのために自らを強いて、あの大好きな第二の世界に入るために努力したのです。】
よく読めば内容はわからないことはないのだが、もう少し読みやすく工夫する余地はないのだろうか。そうしてはいけないのだろうか。内容というよりも日本語の文章の問題として★は二つ以上はつけにくい。この訳を美しいと思う人がいてもいっこうに構わないが、はたして村上春樹がこれを訳したら、こんなに読みにくくはならないと思う。
訳文がひどすぎるが
★★★☆☆
小説は他の方がレビューされているので、レビューのないこちらを選びました。作家の背景というものは、知らないほうがよいと考えているのですが、これにかんしては父親とのエピソードが非常に印象深く、面白く読めました。佐藤亜紀との対談も(ややかみ合っていないような気もしたが)小説のなぞ解きのようでもあり、興味深く読めるかと思います。
ただ、訳がひどい。小説よりはまだましに思えるけれど、本当に訳がひどい。私は原文でも読めなくはないのですが、やはりまともな日本語に訳されたものを読みたいのです。作品を台無しにするような日本語は勘弁願いたいと常々思います。