数学基礎論への良き案内役
★★★★★
“与えられた円と同じ面積をもつ正方形を定規とコンパスだけで作図できるか”という問題を円積問題と言うが、古代ギリシャで提起され、19世紀後半になって、ドイツのFerdinand von Lindemannによって、円周率の超越性を示すことで、否定的に解決されている。1925年に論理学者のAlfred Tarskiは“円の内部を有限個に分割し、等長写像で寄せ集め、面積が同じ正方形を作れるか”という別種の円積問題を提起したが、1960年代にDubinsらにより、分割がハサミによる分割合同に制限されるならば、不可能であることが示されている。しかし1990年に、同等合同分割にまで分割を広くとるならば可能であることが、HungaryのLaczkovichにより、示されている。
面積の等しい多角形はハサミによる合同分割だけで一方を他方に変換できるということがBolyai=Gerwien=Wallaceの定理として19世紀前半から知られている。この話を3次元に一般化したものが有名なHilbertの23問題の筆頭の問題で、1900年にMax Dehnにより否定的に解決されている。
さてこの本で取り扱われるBanach=Tarskiの定理というのは、“任意の大きさの物体を、有限個に分割して、それらを寄せ集めて、任意の大きさや形を持った物体を作ることができる”ということを言っており、これを理解するにはなかなか近寄りがたい数学基礎論の世界に分け入らねばならない。本書はCantor、Banach、Tarski、Godel、Cohenという5人の主要人物に光を当てながら、選択公理が数学のなかで占める微妙な位置を見事に描き出し、この定理の醍醐味を描ききっている。是非一読を薦めたい。
"無限"に潜む魔物が姿を現す。物理的には多分あり得そうにないけど…
★★★★☆
「球を適当に分割して また寄せ集めると、元の球と全く同じ球を2つ作ることができる!」という"バナッハ=タルスキーの逆説"(BT)を通して、"無限"(無限小・無限大)・集合の概念を如何に数学が飼い慣らそうとしてきたかを窺い知ることができる好著です。("fractal"という言葉が現れるより遥か前に"再帰性"の議論が進んでいたのだと再認識しました)
無限集合論における"選択公理"の奇怪さを目に見える形で提示したのがBTなのですが、実際には球の断片が通常の意味で"体積"を定義できなくなっています。日常生活レベルでの物理の範囲内でBTが起きることはありませんので、ご安心を。著者はBTの物理的意味(可能性)を7章で議論していますが、いずれも現時点で反証可能性がないものであり、言わば妄想レベルです。(こういう妄想が許されるのなら「量子論の多世界解釈における"世界の分岐"はBT的かもしれない」とか言いたくもなります。(^-^);;)
【主要目次】
1. 歴史―登場人物(ゲオルク・カントール−集合論の創始者、ステファン・バナッハとアルフレト・タルスキ、クルト・ゲーデル−選択公理と無矛盾性、ポール・コーエン−選択公理の独立性)
2. ジグソーパラドックスと不思議なパズル
3. 準備―集合論(集合の定義、カントールの定理、色んな逆説、選択公理)、等長写像、ハサミによる分割合同、同等分割合同
4. 赤ん坊のBTたち―無限へのシフト、引き伸ばし、カントールの塵、色んな逆説
5. 定理の証明
6. パラドックスの解明
7. 実世界―空想、推測、宇宙論、カオス、素粒子物理学、現実
8. 過去から未来へ(クレイ数学研究所のミレニアム懸賞問題の話題など)
難度はやや高め。無限・集合論の話題に少し馴染みがある方が楽に読めるでしょう(訳注が欲しい処)。"選択公理"の別の選択肢(可算選択公理)の話も入れて欲しかった処です。
【追記】「新版 バナッハ・タルスキーのパラドックス」が出ました。併読すると理解が深まります。