風格のある作品ではあるが・・・
★★☆☆☆
本書は、英国推理作家協会賞ゴールド・ダガー賞を1990年に受賞し、
また、このミステリーがすごい!の「ベスト・オブ・ベスト」でも
第10位にランキングされている作品です。
物語の冒頭、アンドルー・ダルジール警視はある事件を目撃します。
自宅の窓から向かいの家の窓を見ると、
そこには、女性の姿があり、間近に男性が銃を手に迫っています。
駆けつけてみると、女性は既に銃で撃たれた後で、
男性は銃が暴発したのだと主張。
さて、事件は、事故か、殺人か?
この事件をメインに、物語は展開しますが、
各部の冒頭には、ダルジール警視宛の自殺予告の手紙が挿入されており、
誰が手紙を出しているのかが、もう一つの謎として絡んできます。
さらに、町の有志による中世の聖史劇の上演が画策され、
ダルジール警視も劇に参加させられることになるというエピソードも描かれていきます。
この作品、「登場人物」欄に掲げられた人数は、25人で、結構多いのですが、
それぞれの人物は、見事な筆さばきで描き分けられています。
また、文章も含蓄とユーモアに富んで深みのある作風と見受けられました。
ですが・・・ミステリとして見た場合、
私には魅力が薄い作品に思えてなりませんでした。
ダルジール警視の目撃した事件の顛末も、サスペンス色があまり感じられず、
自殺予告の手紙の謎も、これといって興味ある展開もありませんでした。
ましてや、聖史劇のエピソードは正直いって、退屈・・・。
これで、意外な結末でもあれば、評価も高くなったのでしょうが、
残念ながら、特段驚くような結末はありませんでした・・・。
解説に、現代のミステリは、
「魅力的な謎と意表を衝く結末」という古典的な物差しだけで
面白さを計れるものではなくなっている、という説明がありましたが、
やはり、謎の魅力と結末の意外性は重要ではないかと思います。
“謎解き”と機知とユーモア、英国ミステリーの真髄
★★★☆☆
レジナルド・ヒルは、ダルジール警視シリーズ11作目の本書で、’90年、英国におけるミステリーの頂点、「CWA(英国推理作家協会)賞」の最優秀長編賞、ゴールド・ダガー賞に輝いた。
日本では、翻訳された’92年の「このミステリーがすごい!」海外編で第1位になっている。
ダルジール警視の隣家で女が撃たれる事件が起きた。その直前の様子を窓からダルジール自身が目撃するところから物語は始まる。現場にいた建設会社社長は銃の暴発事故だと主張したが、ダルジールは納得できず、殺人として強引に捜査を進めていく。
ダルジール警視宛てに定期的に送られてくる差出人不明の自殺を予告する手紙、市民によって演じられる中世聖史劇、失踪した証言者の行方、そしてくだんの建設会社社長の周辺で続けて偶発する事件、という4つの異なる要素の複雑な組み合わせによって進行する物語は、最後までそれが何処に行き着こうとしているのかまったく見極めがつかない。
シリーズですっかりおなじみとなった、巨漢のアンチ・ヒーロー型主人公・ダルジール警視と、あらゆる点で警視とは正反対のハンサムなパスコー主任警部、そしてこのふたりの補佐役、醜男のウィールド部長刑事たちのやりとりも本書の楽しい読みどころのひとつである。
“謎解き”はもちろんのこと、機知とユーモア、軽妙なアイロニーという英国ミステリーの真髄がこの作品にはあり、同時代にCWAゴールド・ダガー賞を受賞したピーター・ラヴゼイやコリン・デクスターの諸作品(『偽のデュー警部』、『ウッドストック行最終バス』、『キドリントンから消えた娘』など)とも相通ずるところがある。
本書は、まだ10数年前に書かれた作品であるにもかかわらず、すでにクラシックの名作の雰囲気すら漂い、古きよき時代の英国ミステリーの伝統を今に伝える逸品である。