中沢新一による「僕の叔父さんとしての網野善彦」
★★★★★
50年分裂の後遺症の中でのある地場インテリ家族の半世紀の物語であり、網野歴史学形成の中沢新一による周辺雑記録といった趣の一冊である。
網野自身の著作を基本線として抑えれぱ、網野歴史学形成の立体化の糧となる。
本書は、中沢新一ファンにより好まれるであろう。
網野著作がナカザワを面白くする
★★★★☆
網野喜彦さんの追悼文、ということになっているけど実際には中沢新一さんの考えのほう
が強く出ている感じですね。でも、バックボーンとしてマルクス史学や皇国史観に対する反
動という個人的な文脈はやっぱり網野さんの中にもあったはずで、この本で紹介されている
ような中沢家との問答は実際にあったんだろうなぁと思えます。現代の高度資本主義の世界
にアジールを求めることは、不可能なんでしょうか?
しかし、著者は書こうと思えばこんなに面白く書けるんだな、と感心しました。言及され
ていないけど、著者とオウム事件の関連なんかを網野さんがどんな風に見ていたのか、とか
気になるなぁ。
中沢の「知」のルーツに迫る快著
★★★★★
私にとって、中沢著作は、広い学識をうかがわせ、テーマ性、メッセージ性ともに共感しながらも、時にその独特な論理の展開についていけない場面が多かった。しかし、この本は、異様なテンションながらも、非常に明晰かつ彼の「知」のルーツを知る上でのエッセンスに詰まっている。網野善彦との交流の中で、彼の思索のコアが形成されていく様子が感じられて、いままでのかれの著作の流れのようなものを見通すことができたといっても過言ではない。特に、皇国史観や天皇制に関する網野とのやり取りは、非常に示唆深く、権力社会と精神世界との緊張関係のようなものが見事に考察されている。網野史学の背景を知る上でも、「切れば血が出るような」鮮度をもって、より具体的に映像が迫ってくる感じだ。
心なしか、この本を書きあげた後の中沢の著作は、原点回帰したのか、シンプルかつクリアな筆致で、どれもメッセージ性が高く、今までの著作から一つステージを上がった感じがする。
網野と中沢の大きな知的水脈が重なりあって、大きな流れとなりつつあるのかもしれない。今後の彼の著作に期待したい。
網野善彦理解にも歴史学理解にも
★★★★★
近くにいたからこそ書けた網野善彦のエピソードが豊富です。
おっちょこちょいな面や、研究に対する凄まじい真摯な態度などに心打たれます。
著者の宗教理解に影響を与えたことも十分理解できる。何より中沢氏の父親に関することも興味深い。
無論親類であるからこそ見えないものもあるのでしょうが、その点は豊富な実体験がカバーしていると考えてよいでしょう。
一気に読めて且つ深い。
歴史学に携わる人すべてにオススメ。
素晴らしい人間的繋がり、羨ましい家系
★★★★☆
いや〜凄い家系です。中沢さんから見て、お爺さんは生物学者、お父さんは民俗学者で元共産党員、その父の弟は製鉄技術史の研究者、そして妹(叔母さん)に当たる方が歴史学者の網野さんと結婚。
中沢さんが幼少の頃から家庭内では政治や宗教に関する議論が普通に行われ、そこに網野さんも加わって歴史理解の話の花が咲いたそうだ。
後に網野史学と呼ばれる孤高にして綿密な歴史学が展開されていく。叔父さんとしての網野さんとの対話、議論の中で中沢氏の宗教への興味も増していったようだ。まさに網野さんは中沢新一さんの戦友でもあるのであろう。