江戸時代以降「非人」などと呼ばれて差別の対象とされてきた人々は、古代にあっては人と異界の狭間に暮らす「人ならぬ存在」すなわち「聖なる存在」であったと著者は喝破します。農業以外の生業に携わり、特殊な技能によって社会に関わった彼らは、天皇直属の隷属民であり、その他の人々とは異なる存在と観念されつつもけして差別される者ではありませんでした。そして彼らの柿色の衣装をまとい、頭を布で覆うという出で立ちは、「異形」と呼ばれ、「人ならぬ者」の象徴と考えられていました。そして「非人」とされる人々以外でも、時に応じてこのような姿になることで自ら非日常の世界に入り込もうとする態度が見られたことが文字史料や絵画資料をもとに論証されています。
ところが鎌倉時代後期からこのような様相は変化をはじめ、「非人」たちは差別・侮蔑の対象へと貶められるようになります。この本では仮説として示唆されるだけですが、「非人」たちを自ら権力基盤として積極的に利用しようとした後醍醐王権のあり方が一つの画期になったのではないか、と著者は提起しています。
民俗学と歴史学の強調、絵画資料の利用などを積極的に進めようとする著者の態度はこれから歴史学が模索すべき道の一つを示しています。また、現在も生々しい差別が残る問題ではありますが、このような問題関心は我々の聖性に対するイメージの変遷を浮き彫りにするよすがになるのではないでしょうか。著者の論証は(飛礫の問題など)まだ一部思弁的でこなれていないところもありますが。
なお、冒頭から読むより、まず最後の「異形の王権」を読んで、しかる後に冒頭に戻って読む、という進め方の方が理解が早いかも知れません。