諸用語の連関を大づかみに!
★★★★☆
ラカン思想は、フロイトに強固に依拠しており、また、時期による変遷が大きい。
だから、彼自身の著作のうち(セミネールを含む)何か一冊を読んで、それで見通しが一気に良くなるということもない。
強いていうなら、『精神分析の四基本概念』などが核になるのだろうが、それとて、素手で攻めてもなかなか苦しい。
私が本書を読んだのは、数冊入門書を読了した後にセミネールを仏語で読んでいた時です。
諸用語間の関係を頭の中にたたき込めていなかったが故に、話題について行けなかったり、見通しが利かない部分が多かったのですが、本書を読んだ後には、対概念や諸概念の関係が見えるようになって、シェママの『精神分析事典』なども有効に使用できるようになったと感じています。
ただし、これは入門書なのであって、そこから先に進むのは大変です。
私の場合、中山元の手によるフロイトの『自我論集』など、フロイトの著作を読みつつ、ラカンのセミネールを1から読んでいくという作業をせざるを得なくなっています。
ただし、それを行うにしても、全体の地図もなく歩き回っているだけでは苦痛ですし、一読して得ることが出来るものも少なくなってしまいます。
少なくとも私にとって、本書は最初の簡便な地図の役割を果たしてくれていますし、次にフィンクらの手による解説書に進もうという気にさせてくれるだけの内容はもっていると思います。
本書に関して、用語の定義が粗い、ないし、標準的ではないという批判もあるようですし、実際その通りなのかも知れませんが、本書の目的が、著者のもっている見取り図を入門者に対して示すことであるというように好意的に解釈することも可能でしょうし、そういう役には立つ筈です。
訳す本を間違っている
★☆☆☆☆
後期ラカンの核心が補填やボロメオの結び目といったトポロジーにあるということで訳された本だが、訳すべき本を間違えてしまった(読んでも混乱するだけ)。訳すべきは、ラカンの後期セミネールに出席していた、Jean-Michel Vappereau氏の書いた次の位相数学の著作(『Etoffe: Les surfaces topologiques intrinseques』・『Noeud : La Theorie du noeud esquissee par J. Lacan』)、あるいは、DARMON, MARCの『Essais sur la topologie lacanienne』の方でした。
精神分析家とは?
★★★★★
本来ラカンなどどうでもいいのだが、結構よく聞く名前だからどんなものなのだろうという‘雰囲気’程度に知りたいという人には本書を薦めたい。
しかしこのような精神分析に関する本を読むと必ず沸き起こる疑問がある。フロイトやラカンを精神分析家と認めることに異存はないだろうが、彼らの考えの全体像をいまだに把握できずに一生懸命勉強している一般の精神分析家を精神分析家と認めてしまっていいのだろうかと。例えば、音楽学校へ通ったからといって誰でもがビートルズになれるとは限らないどころか誰もビートルズなどになれないように、「フロイト派分析研究センター」で勉強したからといって、その人がフロイトのような精神分析家になったとフロイトがいない今、誰がお墨付きを与えるのか?
本書にも書かれているように(P.207)、ラカンの理論を利用して様々なものが説明されたりしているが、誰もラカンの理論の全容を把握していないわけなのだから、それが本当に有効なものなのかは怪しい。
だから今のところラカン理論の最も有効な利用方法は‘脳トレ’である。
批判的に読んでみることをお勧めします。
★★★☆☆
非常に素朴な疑問であるが、新宮一成氏はどういう魂胆があってこの本を翻訳したのであろうか?
「あとがき」にも新宮氏は著者であるフィリップ・ヒル氏に非常に高い評価を与えている。
しかし、本書はまた読者のそれぞれに対してラカンに対する誤解的解釈を与えることになりはしないだろうか。
老婆心ながら、私にはそれが心配でならない。
ラカンの入門書ということになると、これは非常に書くのが難しいことだろう。
これはもう、今までに出版された本を見れば一目瞭然である。
それらは、あらゆる哲学者・思想家の入門書を書くのが難しいということとは、全く違ったことでもある。
それは、主著『エクリ』の極悪訳ということもあるし、ラカン自身の著作やセミネールに立ち返ることが不可能であるという事実もあるでしょう。
それもこれも最大の原因は、ラカン自身が使用していた「ラカン用語」の数々が意味不明であるということに起因する。
現実に、もしそこまで本書を新宮氏が評価しているのなら、「シニフィアン=言語」という多くの専門家諸氏ですら首を傾げてしまうような解釈が成立してしまうからだ。
本書を読む限りでは、新宮氏はそのことに何ら異を唱えていない。
最近の本では、『夜戦と永遠』を著した佐々木中氏も、その著作でラカン用語の解釈に悪戦苦闘している。
そう、誰も「正解」が解らないから独自解釈を行なっているというのが、事実なのだ。
どうも、この本を読んでみると、ラカンを巡るドタバタ劇は一向に収束しそうもないようだ。
わかりやすくて いい
★★★★★
具体的な話、繰り返し、簡単な言葉でとにかくわかりやすい。
イラストも多くレイアウトが変化に富んでいるので飽きない。
とりあえずのところわかったと思えるように書いてある。
ラカンについては有名な語句くらいしか知らず、
それがどのように語られているのかまったくわかっていなかったのだが、
そういう状態から一歩抜け出し、ラカンの解釈をイメージできるようになった。
比較的平易な入門書とされているらしい新宮一成『ラカンの精神分析』すら途中で放置していた私も、
これは引き込まれて最後まで飽きることなく読み通すことができた。
安易な心理学やAC概念にとらわれている人にもこれをすすめたい。
ああこういう見方もあるのか、
と少し気持ちが変わるきっかけになるかもしれません。